99年3月Science Book Review


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  • 冒される日本人の脳 ある神経病理学者の遺言
    (白木博次(しらき・ひろつぐ)著 藤原書店、3000円)
  • 98年12月刊行の本で、もう新刊ではないのだが、ご了承いただきたい。色々な媒体で取り上げられていたので、読んでみた。なるほど、確かに書評欄で取り上げやすい本ではある。著者は「スモン訴訟、ワクチン禍裁判、水俣病訴訟などの裁判で法廷に立ち、「医」の立場から」発言してきた人物。その回顧録であり、「ボケ」、環境ホルモン問題などへの警世の声でもある。

    各書評ではやはり環境問題がらみのところが取り上げられていることが多いようだが、著者が警告を発するのは社会や企業に対してのみではない。医学に携わっている人々への説教でもある。著者は現代医学は患者の心情を無視しているといい、このようにつづける。

    医学を「科学」としてのみとらえ、また特に「自然科学的医学」としてのみ考えていく昨今の風潮は、明らかに医学の変質であり、許さるべきではなく、むしろ私としては、猛然たる反発と不快さを覚えざるを得ない。
    なぜなら、すべて物ごとを模図化し、数値化し、客観化していけばいくほど、そこから抜け落ちていくものが数限りなく発生してくるのが真実であるからである。
    (中略)自然科学の中でも自然科学的医学は、人間学という観点をいつしか見失ってしまったとしか思えないし、意図的にそうする節すら見えると言ってもいい。もっと正直に言えば、そうすることが真実だと思いこんでいる医師たちがあまりに多くなりすぎているのが現状であると言えるのではあるまいか。
    さらに、日本の疫学体制の貧弱さにもその刃は向けられ、さすが「遺言」と題するだけあって、止まるところを知らず斬りまくる。スモン、水俣裁判、PCBなどの現在過去のみならず、こういったことに興味がある方は必読かも。参考資料として国会での著者の証言がつけられているのだが、そちらもなかなか読ませる。言葉に力がある。

    著者はさらに老人ボケの予防は胎児段階、つまり妊婦の食生活から改善しなければならないのではないかという説を展開するのだが、この辺は今後の研究を待ちたいところ。


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  • におい 秘密の誘惑者
    (ピート・フローン(Piet Vroon)アントン・ファン・アメロンヘン(Anton van Amerongen) ハンス・デ・フリース(Hans de Vries)著 栩木泰訳 中央公論社、2100円 原題:Verborgen verleider, 1994)
  • においは不思議だ。物質の濃度が変わると、その感覚が全く変わってくるという現象はよく知られている。悪臭を放つものでも、低濃度だと「いい匂い」だと感じられたりするのである。また、においが記憶と結びつきが深いことは、多くの方がうなづいてくれるのではなかろうか。においは、我々の感覚を引き起こす一方で、我々の身体的なもの自身が、においという感覚に影響を与えるのだ。

    本書は、嗅覚器の構造から文化史、心理的影響、嗅覚障害、さらにアロマテラピーまで、においに関する科学的な内容と、エッセイというかオモシロ話的な内容が入り交じった一冊。オランダ・ユトレヒト大学教授で、においの研究者である心理学者が、生物学者ともう一人の心理学者の協力を得て書いた本だとのこと。

    におい、嗅覚に関する研究者そのものが少ない理由も、本書を通読すると何となく分かってきた。要するに、科学にするのが極めて難しいのだ。逆にこの手の本も少ないので、極めて貴重だとも言える。本を書いてくれ>日本の研究者。

    私たちは一日の大部分、何のにおいも嗅いでいないように過ごしている。だがそれは間違いである。単に意識に昇らないだけなのだ。人間は、嗅覚刺激を意識しない。だが、においは気分や行動に影響を与える。味覚と嗅覚が不可分であることは直感的にも分かるが、それだけではないのだ。これは、嗅覚神経が大脳辺縁系と深い関わりがあるからだ、と著者はいう。

    そして、嗅覚そのものも体の状態によって大きく変動する。一般に、男性より女性のほうがにおいには敏感なのだそうな。さらに女性は、においの感受性が生理に伴うホルモン変動で変わるそうだ。これは嗅細胞の嗅繊毛が使っている粘膜の厚さが変動するためらしいが、実際のところはどうなんだろうか。

    さて、実際にはにおいはどのように知覚されているのか。におい分子に結合するタンパクなどは発見されているが、その詳しいメカニズムは結局分からない、というのが実状であるらしい。においによっては、ニューロンの活動を低下させるものもあるし、混合臭のメカニズムも説明できないし、においの感受性変動の仕組みも分かっていない、ということらしい。

    におい分子そのものにしてもそうだ。ある程度、漠然としたことは言えるようになっている。だが、例えば色のように、自在に説明できる原理がない。要するに、においの感覚についてはまだ五里霧中、ということらしい。フェロモンに関しては言わずもがなである。だが、人間の体臭が変動することを考えると、何かはあるのだろう、おそらく。行動と1:1対応しているわけではないだろうが。

    著者はこの問題について、香水などに触れながら、いまの私たちにとっては、においが持つ文化的な意味が、元来の生物学的機能を凌駕しているという。その内容については、本書をめくって頂きたい。

    赤ん坊は母親の臭いをかぎ分けているが、動物実験によると羊水の臭いを胎児は「嗅いで」いるという。一方、かなりの種類の病気は、体臭に変化を起こすという。我々は生まれる前から死ぬまで、臭いとは切っても切れない関係なのだ。


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  • よみがえる恐竜王朝
    (董枝明(Dong Zhiming)著 日本語版監修・東洋一 小学館、1500円 原題:恐龍王朝興衰史)
  • 著者については金子隆一氏らによって国内の恐竜ファンにも紹介されているので、知っている人はみんな知っていると思う。中国の恐竜研究者である。本書は、中国国内の一般向けに書かれた本を日本語訳したもの。恐竜発掘の基本的な歴史から入り、最後は絶滅や温血説を扱うオーソドックスな構成 内容だが、著者自身によるフィールドの記録は確かに興味深く、面白いものだ。

    だが、恐竜一般の本としてこれを薦めるか?というと、あまりおすすめはできない。本書はあまりにも構成がだらだらとしており、しかも小見出しもほとんどないため、極めて散漫な印象を受けるのである。また、各恐竜に関する解釈などについても、研究者たちへの反論はなされているのだが、では著者自身はどう考えるのかといったところがどうも見えない、という点も気になった。

    また、翻訳文の文体も気になった。いわゆる中国調なのだ。「この場面に直面し、私は人民の無知蒙昧に心が痛んだ」といった表現である。我々中国人民は…といった表現は確かにお馴染みだが、どの程度原文の調子を反映しているのだろうか。また邦訳するときもこういう調子で訳すのはどうかと思うのだが。

    本書の山場の一つは鳥の起源の話だ。プロトアヴィス、そして孔子鳥や中華鳥竜の話である。結局、鳥はいつの時代からいたのか。この点の議論は私の手には余る。というか、まだまだはっきりしたことは言えないのではないか。著者もそういう立場らしい。


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  • <意識>とは何だろうか 脳の来歴、知覚の錯誤
    (下條信輔(しもじょう・しんすけ)著 講談社(現代新書)、680円)
  • 現実、世界とは極めて主観的な要素が強く、環境と身体、そして知覚は相互に影響しあい、不可分の関係にある。これが著者の主張なのだが、はっきり言ってこんなことは当たり前である。一般の人なら誰しもがそう思うだろう。だが研究者達の世界では、いまこの「当たり前のこと」の見直しが始まっているらしい。

    たとえば、本書の重要なテーマである「他者」の認知。他者の心を類推する、シミュレートするからこそ、自らの意識も発生する、といった考え方はハンフリー『心の目』などでもお馴染みだが、最近とにかく流行っている。同様に流行っている考え方に、「文脈」の中で捉えてこそ、物事の「意味」は発生するし、どういう文脈で捉えるかによって意味は変化するし、さらにはそういう視点なしでは意味には何の意味もない、という考え方がある。

    これらの考え方は、哲学者たちならおそらく、大昔から考えていたことだろう。今は、研究者達の多くが、一周ぐるっと回ってこういうふうに考えるようになっている。おそらくこれも流行り廃りがあるので、しばらくしたらまた部品に分解して考えるやり方が流行するんじゃないだろうか。

    さて、そろそろ本書そのものに戻ろうか。
    本書は、「錯誤」「イリュージョン」をキーワードに、脳や心と外界の関係を捉えようとする本である。要は、状況次第で意味が変わる、ということだ。これでは、いくらなんでもざっくりまとめすぎなので、詳細は本書を見て欲しい。例によって例の如くで、逆さメガネの実験の話や、縦縞横縞の猫の話、ネーゲルのコウモリの話とかが出てくるわけだ。そして心と体、他者、さらに意識や無意識を、「文脈」や「来歴」といった言葉でいろいろと考えてみる、という内容だ。最後にはプロザックなど向精神薬の話も出てくる。

    面白いかつまらないかというと、面白い。だが、読んで何か新しい知見が得られたかというと、何も得られない。そんな本である。意識─無意識の話はなんだかな、って感じ。面白いのは面白いし、確かにそんなもんなんだろうなとは思うのだが、科学者には科学者なりのアプローチで切り込んで欲しかった。

    つまり、精神─脳─体─環境などがインタラクションしています、なんてことなら誰でも言えるのだ。ではその実体はどうなっているのか、ということこそを、神経科学者には求めたいと思うのだが、間違っているだろうか? こんなこと言うと、著者からは、脳に切り込んでいくと「錯誤」が見えなくなる、なんて言われてしまうかもしれないが。

    この手の本を読んだときにいつも感じることなのだが、単なる思索を聞きたいのであれば、他の人の本でも良いような気がするのだ。例えば最後の向精神薬の話などは「そんな話ならSF作家が大昔から書いてますよ」と言いたくなるようなものでしかない。少なくとも、僕が研究者に聞きたい話はそういうものではない。もちろん、問題意識としてこういったことも考えていて欲しいとは思うのだが…。

    最近の流行に飽きているせいか、やや辛目の評価になってしまった。フォローしておくと、もともと講義録がベースになっているだけあって、『現代思想』的な内容でありながら喋るように書かれているので読みやすい。そこは救い。


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  • 顔を科学する! 多角度から迫る顔の神秘
    (馬場悠男(ばば・ひさお)・金澤英作(かなざわ・えいさく)共編 ニュートンプレス、1400円)
  • 例によって顔の話である。内容も例によって例の如く。顔の進化、サルとの比較、人種差、縄文顔と弥生顔、歯の違い、表情、復元、顔隠しの文化、不正咬合、未来顔。

    気になったことから、まず。第二章・サルの顔とヒトの顔から、ヒトの顔とサルの顔の比較。本書ではこうまとめられている。

    1. 毛がない
    2. 白目(強膜)部分が白く、大きい。
    3. 平坦である。
    4. 鼻が高い。
    5. 唇がある。
    これには、眉毛がある、耳たぶがある、といった重要な特徴が欠けているように思うのだが、どうなのだろう? おまけにこの章の耳に関する記述にはわざわざ「霊長目のなかまの耳の形は、どの種でもかなり似ている」と書かれているのである。顔の専門家がこんなことで大丈夫か、と思ってしまった。

    読み物としてまあまあ面白かったのは香原志勢・日本顔学会会長による「日本人の表情」。アイヌやコーカソイドはウインクや片眉上げが得意であるそうな。ところがモンゴロイドは一般にそういう片側だけを動かすしぐさが苦手だという。著者は一応「顔面神経の異側支配性」はなぜ発達したのか・しなかったのかを考えてみせる。実際には単なるお話の域を出ないのだが、面白くはある。

    もう一つは、「顔隠しの文化」。ここは科学でもなんでもないのだが、文化論として純粋に面白かった。日本文化は素顔を隠す文化であった、というものだ。例としてお歯黒、眉剃りが挙げられている。詳細はお読み下さい。

    まあ全体としては、どこかで聞いた話ばかりになってしまってる。もうちょっと何とかならないのだろうか、顔学って。


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  • 霊長類学を学ぶ人のために
    (西田利貞(にしだ・としさだ)・上原重男(うえはら・しげお)編 世界思想社、2400円)
  • 帯の惹句はこうである。
    サル学の最前線を歩く
    日本のサル学が生まれて半世紀−−第一線で活躍する中堅・若手の研究者を結集し、霊長類の生態、行動の進化、社会の最新情報をわかりやすく提供。新たなスタンダードの誕生。
    おおむね、この通りの本に仕上がっている。何でもかんでも入れました、という構成。
    著者は目次から順番に挙げると、西田利貞、濱田穣、中川尚史、上原重男、黒田末寿、室山泰之、小田亮、田中伊知郎、榎本知郎、橋本千絵、古市剛史、宮藤浩子、五百部裕、揚妻直樹、高橋浩幸という面々。巻末には読書案内までついている。ちょっと値が張るが、霊長類学に興味を持つヒトなら必読の一冊と言えよう。

    内容を簡単に紹介すると、性差、性行動、霊長類の種間関係、音声コミュニケーション、母子関係、雌間関係など。興味深い話題が詰められている。順位制についてもDNA鑑定などによる「必ずしも高順位の雄がより多くの子どもを残しているとは言えないということが明らかになっている」など、難しい問題が新たに現れているようだ。

    こういう形でまとめられて読んでいると、不思議な気がするところもある。たとえば、以前は霊長類の社会構造は基本的に系統によると考えられていたことなど、ほとんど滑稽な気さえする。他の生物も見れば、そんなはずないことは、すぐ分かりそうなものなのに。

    また、確かにまとまってはいるのだが、一方で、それぞれの著者たちの「思い」みたいなもの、ある種の思いこみのようなもの、熱気のようなものが、今ひとつ感じられなかったことは残念。

    本書のテーマの一つには、霊長類の保護がある。それとも関連した話。
    チンパンジーは各種医学実験に使えないのだという(一部では使われている)。それは単なる費用の問題ではないそうだ。チンパンジーは「違う」から、というのがその理由なのだという。多くの研究者にとって、そもそも実験動物にしようという考えも浮かばなければ、論文もacceptされないのだそうである。この辺は、一般の人と研究者とで、考え方がだいぶずれているような気がする。なぜこのズレが生まれるのか、チンパンジーは他のサルとどう違うのか、ここの辺りをもっと明文化することは、人間とは何かという問題を考える上でも、意外と重要な課題であるように思える。

    さて、本書と次に取り上げる杉山幸丸『サルの生き方 ヒトの生き方』とを合わせて読んでいて一つ湧いてきた疑問がある。日本にはニホンザルがいる。ニホンザルは、いつ頃から日本にいるのだろうか? また、中南米やアフリカでは、一般的にヒトとサルの関係は「食う・食われる」だという。日本ではどうだったのか?昔は食べていたのか? ではいつから、そしてなぜサルを食うことはタブーになったのだろうか? どなたか教えて下さい。


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  • サルの生き方 ヒトの生き方
    (杉山幸丸(すぎやま・ゆきまる)著 農文協(人間選書224)、1714円)
  • 現在、霊長類学会会長を務める著者はサル(ハヌマンラングール)の「子殺し」を報告した研究者として有名だが、最初は異常行動の報告に過ぎないとして無視された、という話をあちこちでしている。natureにも一蹴され、結局受け入れられるまで10年ほどかかったという。よほど悔しかったのだろう。当たり前だが。

    さて本書は(おそらく)定年退官した記念として、あちこちで著者が書いてきたものを集め、さらに間を埋めるような論考を加筆したものである。厳しい順位制があるのは飼育されたものだけだという例のニホンザルの話から始まり、一般的な教育論、餌付けと猿害への考え、霊長類の現状と保護、今後の霊長類学に対する提言、さらには著者自身の半生も含め、どのように研究者の道へ入ったか、といったことが描かれている。
    この手のモノは部外者には退屈で読むに耐えない本が多いのだが、本書はちょっと違った。

    行間、いや文章そのものが熱いのだ。著者の「思い」が、それこそあちこちから噴き出している。と、ここまで言うとちょっと大げさだが要するに本にしか書けないようなもの、つまり論文の類には書けないような研究者の「思い」が描かれているのである。著者の言葉を借りれば「研究の底流になる『思いのほど』や未だ成熟してない理論や推理も思い切り」書き込まれているのだ。本はこうでなければならない。この点、押さえ気味に書かれている前掲『霊長類学を学ぶ人のために』とは対照的である。本の性格が違うのだから仕方ないことだが。

    科学という営みが実際どのようなものかも覗くことが出来る。ある種の考え方や「風潮」のようなものが、如何に研究を左右するか。長年研究現場にいた著者が、過去を振り返って綴っている。
    というわけで、霊長類のみならず、科学に興味・関心を持つ人には一読をおすすめする一冊である。もちろん、退屈なところもあるのだが、特に後半に見られる著者の気概のようなものは、ページを繰らせるだけのパワーを持っている。

    もちろん、サルに興味を持つ人にも。「人のなかにサルが住んでいるといってもいいぐらい」、人とサルの関係は深い。

    だから、サルの行動の分析は人の本質を理解するうえで重要な役割を果たすはずである。注意しなければならないのは、もちろん、人には人特有の性質があり、それこそが人を人たらしめてきた。逆に言えば、その特有の性質をはぎ取って裸にした状態でサルがいるということになろう。(本書P.54)

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  • 遺伝子組み換え食品は安全か? ヨーロッパ・エコロジー研究所からの警告
    (ジャン=マリー・ペルト(Jean-Marie Pelt)著 ベカエール直美訳 工作舎、1600円 原題:Plantes et aliments transgeniques, 1998)
  • こういうタイトルだから、中身は分かると思う。遺伝子組み換え食品の危険性を訴える本である。内容もだいたい他の本と同じで、遺伝子組み換え作物は封じ込めできないから生態系を擾乱する危険性が高く、そもそも種の壁を超えて遺伝子を操作することは自然に反している、といったものである。要するに、遺伝子組み換え食品のリスクは正しく測られていないというのが著者の主張なのだ。

    これは確かに、ある意味で真実である。何が起こるか。それを正しく予測することはできない。事故は予測できないからこそ事故と呼ばれる。そして問題はおそらく、リスクを「正しく」測ることなどできない、ということなのだ。これまでの遺伝子組み替えを伴わない交配も、そういうリスクを内包した形で行われてきた。

    だから同じだ、とまで言い切ってしまうことは私にはできない。だが、私には許容量範囲内なのだ、遺伝子組み換え食品は。本書で著者が展開する反対意見は「要するにオレは気に入らない」といった程度のモノとしか思えなかった。ただ繰り返すが、安全だと言い切ることもできないのは確かであり、情報は絶えず収集していなければならない。

    一方、元大学教授の著者はどうやらトンデモの世界に行ってしまっているらしく、音楽を植物に聴かせる実験は物質が波動でできているからあり得るし魅力的だ、と言っている。こんなことをいう人物の書く事は信用できないな。

    一つ、重要なことがある。必ずしもまだ一般には受け入れられていないということである。理屈ではない。何よりも感情的に、受け入れられていないのだ。合理的に考えれば危険はない、といった表現で押し切ろうとする人がいるが、これにはちょっと無理があるように思う。そもそも人の考えや感情に馴染まないものが合理的と言えるのだろうか。単に理であるだけの理では、社会的には不足である、ということは考えておかねばならない。


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  • 脳の老化と病気 正常な老化からアルツハイマー病まで
    (小川紀雄(おがわ・のりお)著 講談社(ブルーバックス)、880円)
  • 主に知的機能が障害されるアルツハイマー病と、運動機能が障害されるパーキンソン病の本。著者自身も認めているように、類書は多い。だが本書はその中でも分かりやすくきちんとまとまっている点で、良い部類に入るのではなかろうか。それぞれの病態、原因、今後の治療の展開など。

    こういってしまうと素っ気ない本のように思われるかもしれない。だがそうではない。面白いのである。どこがどう、と言われると少々困るのだが、内容もしっかりしていて明解であり、アルツハイマー病の原因遺伝子などの科学的な記述と、介護の実際や施設問題など臨床、実際の現場の状況の記述とのバランスも良い。こういう本は、ありそうであまりないし、こういう本が書ける人も、いそうであんまりいない。貴重だ。

    加齢に伴って、神経細胞に何が起こるか。まず、数が減る。シナプスが減少する。それに伴って神経回路網が縮小し、冗長性も失われていく。また、老化色素や神経突起が変化し老人斑が見られるようになる。不溶性の線維性タンパクが沈着する。細胞骨格に異常が生じる。

    生理的な大脳萎縮、普通の大脳萎縮では大脳皮質の高さはあまり変わらず、広がりが縮小する。ところがアルツハイマー病では高さ、広がりともに著しく縮小し、特定の層が著しく退縮する。自然に老化した脳が単に縮小しただけなのとは質的に大きく違うことが特徴だという。

    沈着が起こることで細胞内情報伝達に障害が生じるのは分かる。萎縮によって回路網が縮小することも分かる。だが結局のところ、何が原因なのか。それはまだ分かっていない。治療は、薬はもちろんのこと脳移植も含めて様々な方法が実験されているが、まだ決定打がない。

    だがこれらの病気の進行を止めることが全くできないわけではない。原因解明、治療法確立も、いつかは、きっと。


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  • 花の自然史 美しさの進化学
    (大原雅(おおはら・まさし)編著 北海道大学図書刊行会、3000円)
  • 色、香り、形、咲く、と題された4部からなり、主に生物学、生態学の視点からみた「花の自然史」である。化石植物などの記述はない。したがってどちらかというと「自然史」ではなく「自然誌」といったほうがよい内容なのだが、なかなかまとまったレビュー集で、結構面白かった。というわけで、ちょっと内容を紹介する。

    まず第一部「色」。
    昆虫が紫外領域を見ることができ、その視覚で見ると白い花も白くないことは良く知られているとおりだ。ところが、昆虫の視覚領域で見ても白い、「昆虫白」の花を持つ植物がギンリョウソウである。「昆虫白」の花は水面など同じく光を全反射するものと区別がつかないから受粉の上で不利となる。だからそんな植物はあまりないのだが、ギンリョウソウは暗い森の腐葉土の中で咲く。周囲の土壌は紫外線も吸収するので昆虫の目から見ても暗い。その中では「昆虫白」は目立つ、だから、ということであるらしい。

    このように、花の持つ色彩は、花粉の媒介者に対するアピールとなっているのだが、もちろんそこには物質としての色素系の進化が見られるし、またアジサイを見れば分かるように補助色素や金属元素の有無、pHなども花色に影響を与える。さらには構造色の問題もある。つまり、生物学的な背景と化学的な背景の双方を考えなければならない、ということらしい。

    第2部「香り」。
    まずほほうと思ったのが、花の香りの起源についてのお話である。本来は食害の際の忌避物質として放出されていたものが、やがて昆虫にとって食場を示す化学シグナルとなっていき、さらにそれが花粉の送受粉に関与するようになっていったのではないか、というのだ。昆虫と植物との」忌避物質が逆に誘因シグナルとなったのでは。なるほど、面白いし、そういうことかもしれないなと思う。化学生態学の人達が真相を明かしてくれるのを待つことにしよう。なかなか難しそうだが、本書ではモクレンなどを素材としてその研究が紹介される。また、花は複数の化学物質を放つことで、誘引する動物を特定しているらしいという。面白い。

    第3部「形」。
    この部では、最近どこへ行っても耳にするABCモデルやMADS遺伝子群の話が紹介されている。花はいろいろと部品がつき、かなりフクザツな形をしているが、それぞれの部品がどうやって形成されるかということは、だいぶ分かってきたのだ。既にご存じの方も多いと思うが、本書の説明はけっこう丁寧で分かりやすい。

    へーっと思ったのが「花粉もどき」。ムラサキシキブは雌雄同株なのだが、小笠原のムラサキシキブは雌雄異株だというのだ。中にめしべの長い物があり、それには雄機能がない。ところが花粉のようなものはちゃんと作る。だがそれらは最初から発芽口がなく発芽しない、「花粉もどき」なのだ。さらにおかしなことには、花粉を出す株(雄株)と花粉もどきを作る株(雌株)の間には、量的な差がない、つまり雌株が作る花粉(もどき)の量は、雄株がつくる花粉の量とそれほど変わらないばかりか、花粉もどきには生殖細胞もちゃんと残っているらしい。そのため、いったいなぜ雌雄異株に進化したのか良く分からないそうだ。

    他にもいくつか似たような、つまり外見からは分からないが実は雌雄異株、という植物が発見されているという。つまり「顕花植物の有性繁殖機構の真の理解のためには、見かけ上健全な性的器官でされも、さまざまな角度からの詳細な再検討が必要である」ということらしい。ふーむ、面白い面白い。

    第4部「咲く」。この章はいささかまとまりに欠けている。他にははまらないが面白い研究を入れました、という感じだ。植物と時間、花の睡眠、向日性、ツユクサの話など。

    疲れてきたのでここまで。まあ値段は張るが、けっこう面白い本である。こういうレビュー集が出るということは、その学問分野がエネルギッシュだ、という表れでもある。植物は面白そうだ。


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  • クローンの世界
    (中内光昭(なかうち・みつあき)著 岩波書店(岩波ジュニア新書)、740円)
  • これ、どうしてこういうタイトルなのかなあ? まあ、確かにこういう内容(だいたい分かりますね? 発生学諸々からドリーだとかES細胞だとかの話)ではあるんだけど、本書で展開する一番面白い話はそういう一般的なクローンの話ではない。申し訳ないがそこはごくごく普通で、それほど面白い話ではない(でも気持ちは分かる)。じゃあ面白い話というのは何かというと、ホヤの話なのだ。

    まあそれも知っている人はみんな知っているような古い話だ、と言ってしまったらそれまでなのだが、要するに僕はここだけを膨らませて一冊にすべきではなかったか、と思うわけ。その前後の話はほかの本で読めるわけだから。

    というわけで順序が逆だが一応内容紹介。ホヤはさまざまな方法で無性生殖する。要するに分裂するのだ。本書ではまずミナミシモフリボヤの「横分体形成」を例に挙げて解説している。ミナミシモフリボヤは群体を作って生きている。有性生殖で生まれた卵生個虫は固着して2週間ほど経つと「腹部と後腹部に順次くびれが入り、いくつもの「横分体」(芽体)」ができる。

    ホヤは言うまでもなく動物だが、その体にくびれが入って分裂していくのである。もちろん、消化管や心臓がない体もある。そういう個体の場合、しばらくすると上心嚢の上皮細胞が分裂し、それらの器官を形成していくのだ。

    またシモフリボヤの場合、横分体形成のときに「胃が細長く伸びるとともに、胃から胸部側に新しい心臓がつくられて拍動を始めます。後端にはもともとの心臓があり、それも拍動しているので、一つの個虫の二カ所で心臓が打つようになります。何度眺めても異様な光景です」

    こうして無性生殖でできた個体を芽生個虫というが、こいつらもまた無性生殖することができる。こうして群体は大きくなっていく。

    こういったホヤの生殖が紹介され、さらに研究の様が描写されていくわけである。被嚢内の母体と個虫の関係とか。ここは、本当に面白い。やっぱり、自分の研究の話だけに絞って描き込んで欲しかったな。
    他の部分も悪いわけじゃない。でも、もったいないな、と思ったのだ。


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  • 考える足 人はどこから来て、どこへ行くのか
    (片山一道(かたやま・かずみち)著 日本経済新聞社、1600円)
  • 著者の専門はオセアニア先史。オセアニアの人々がどこから来て、どのように分散していったのかを研究している。この辺の本も、最近やたらと刊行されているような気がするなあ。というわけで、取りあえず気軽に読めそうな本書を手に取ってみた。

    中身は著者自身の研究人生を背景にしたエッセイ。雑誌などに書いてきたものをまとめて加筆したものなので、内容には重複も多く、それぞれの文脈がいまひとつ繋がっていないところもある。だが、人類学者の気軽なエッセイとしては、まあ面白い。寝転がって読める、ごく気軽な本だ。何か読みたいんだけど、というなら別に読んでも良いのでは。

    ただ著者の物言いははっきりしているだけに、中には受け付けない人もいるかもしれない。たとえば、DNAの研究については「人類の化石の研究などには役立たない。古人骨の研究にも役立たぬ。そんなのは、還元主義の科学の神話である」と切って捨てる。実際にそこまで役に立たないかどうかはおいといても、はっきりした著者の立場は、これはこれで痛快である。

    なおもちろん著者は、どんどん新しい化石を見つけ、地道な記載や解析に注力すべきだ、という立場である。


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  • ゴキブリ大全
    (デヴィッド・ジョージ・ゴードン(David Geroge Gordon)著 松浦俊輔訳 青土社、2400円 原題:The Compleat Cockroach, 1996)
  • ゴキブリなんでも本だが、科学的側面からの分析は思ったよりも少なく、期待はずれだった。でもまあ、それなりの内容は押さえられている。著者のゴキブリへの思いはよく分かるのだがなあ。ゴキブリ大好きな人が結構いるのはなぜだろう。

    うーん。面白かったところを抜き出してもいいんだけど、そこまでする気にはなれない本だなあ。特につまらない本ではなかったのだが。これをもって感想とさせて頂く。


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  • 昆虫の本棚
    (小西正泰(こにし・まさやす)著 八坂書房、2000円)
  • 固い本から柔らかい本まで、一冊丸ごと、昆虫本ガイドブック。レビューされているものだけではなく、巻末には1300冊の書籍データを収録した目録まで付いている(らしい。数えてないので)。
    いやー、こういう本を見せられると、自分の勉強不足を感じるなあ。ほんと、ほとんど読んでない本ばっかりなのだ。この勉強不足はこれから埋めていくしかないなあ。ごめんなさい、って感じです。

    ということでご紹介まで。特殊な人しか必要とはしない本だろうけど…。
    なお脱稿したのが95年とのことなので、それから以降の本はフォローされていない。この中で紹介されている本がどの程度入手できるか、それは分からない。


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  • 肖像画の中の科学者
    (小山慶太(こやま・けいた)著 文藝春秋、730円)
  • 絵は写真ではない。
    いままでは科学の書物の中で、さして重みを置かないカット的なものとして眺めてきた科学者達の肖像画も、ひとつの美術作品として丁寧に鑑賞しなおしてみると、そこから彼らの生き様を知り、心の内を垣間見る手がかりが得られることに気がついた。そこには、肖像画のモデル(科学者)を主人公にして制作者(画家)が演出を施し、絵を見る我々がその筋書きを思い描く、ひとつのドラマが形作られているのである。(まえがきより)
    という意図のもとに著された、25人の科学者列伝。一つ一つはごく短く、さらさらと読めてしまう。それだけといえばそれだけの本だが、そうだな、TVでいうとミニ番組のようで、なんとはなしに楽しい本ではある。カラー図版が少ないのが残念。

    宇宙に美を取り戻そうと地球を動かしたコペルニクス。軍人になっていたかもしれなかったカルノー。自分の肖像画を描かせた男に首を刎ねられたラボアジェ。超早熟の天才だったマクスウェル。ファインマンの哀しいラブレター。ニュートンによって消されてしまったフックの肖像画。寂しい寺田寅彦の自画像。

    一枚の絵に塗り込められたドラマ。もうちょっとじっくり読んでみたいものもあったが、このくらいの分量が、ちょうど良いのかもしれない。人間の素顔は、描ききれるものではないから。


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  • 動物園にできること 「種の方舟」のゆくえ
    (川端裕人(かわばた・ひろと)著 文藝春秋、1619円)
  • 動物園とはいかなる場所なのか。ということを、表裏含めて動物園先進国アメリカに取材した本である。都合により、この本に関しては紹介のみ。あとで加筆するかもしれません(と言って、最近は加筆したことがないなあ)。読むには値します。

    ただ、一言だけ。
    本書、というよりこれは、この著者の特徴なのだが、確かに鋭いところは突いている。だが、結論は常に読者にお預け、という態度は如何なものか。せめて「私はこう考える」という結論は呈示しても良いのではないか。なぜなら、どうもこの著者は、自分の中で最初から結論は持っていて、それをバックアップするために取材しているような節があるからである。


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  • どうぶつの妊娠・出産・子育て
    (和秀雄(にぎ・ひでお)編 メディカ出版、2000円)
  • 様々な動物(哺乳類)の妊娠・出産・子育てをそれぞれ見開き2ページで飼育係や専門家が執筆、写真を加えたものである。この本の最大の欠点は、カラーじゃないこと。カラーだったら、こういう本にはケチを付けるところはない。数百円くらい値が上がっても、カラーにすべきだったのでは。

    この本も都合により簡単に済ませてしまうが、中に収められている動物は、カンガルー、コアラ、コウモリ、ムササビ、サル、シマリス、ノウサギ、アフリカゾウ、野生ウマ、クロサイ、ブタ、ウシ、ヒツジ、キリン、カバ、ネコ、イヌ、キツネ、タヌキ、ヒグマ、アザラシ、ラッコ、イルカ。

    なぜこの本を買ったかというと(このウェブサイトをよく覗いてくれている人なら分かると思うが)、妊娠、出産という過程に、私は非常に興味を持っているからである。これほどありふれているが不思議な行動はないと思う。


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  • 生物時計の分子生物学
    (海老原史樹文・深田吉孝 共編 シュプリンガー・フェアラーク東京、4600円)
  • 生物時計の研究者たち自身によるレビュー集。部外者にとってこういう本は実に有り難い。内容はClockなど時計遺伝子研究の現状、メラトニン、単細胞生物の時計、各種動物の生物時計を抱える器官──昆虫の視葉時計、脊椎動物の概日時計(松果体、網膜、視床下部(視交叉上核))──の働き、中でも視交叉上核についてなどとなっている。生物時計、概日リズム研究の現状を伺える。
    と同時に、この分野では課題もあるが、具体的に次に何をすすべきかということは見えているようだ、ということが良く分かる一冊である。

    原核生物から哺乳類に至るまで、生物時計の研究は様々なレベルで進んでいる。遺伝学的研究の素材ではアカパンカビやショウジョウバエが、生理学的・解剖学的な研究の素材としては昆虫などが用いられて進められている。概日リズムはほとんどの生物が持っているらしい。その辺りのことは富岡憲治『時間を知る生物』裳華房ポピュラーサイエンスを読んで欲しいが、これは実に不思議なことである。そして現在、どうやら動物界では時計遺伝子・時計タンパクは共通のものが使われているらしいと分かってきた。

    生物時計は入力 発振、出力という3つの機構の組み合わせからなる。発振メカニズムは始めからある特有の振動状態を持ち、それに対して入力系から擾乱あるいは調整が働き、位相変化なりなんなりを起こし、また安定して、出力に至る。

    入力としての光受容タンパク、その後の情報伝達経路などは徐々に解明されつつあるようだし、出力としてのメラトニンなどホルモンの生合成や、さらにそれが行動や生理に及ぼす影響の研究もだいぶ進んできているらしい。
    なおメラトニンについては巷でも有名だが一応フォローしておくと、主に松果体で産生される脂溶性のホルモンで、分泌量は概日時計に支配され、概日リズムを示し、夜間は日中の数十倍から数百倍の値に達する。逆に外部から投与すると概日時計に影響を与えることが知られ、時差ボケの薬としてばかりか、避妊薬としての可能性なども探られている物質である。

    というわけで、出力結果としての生理的な変動、メラトニンやセロトニンの変動については徐々に解明されつつある。だが時計、つまり発振のメカニズムはまだ今ひとつ分かってないようだ。

    また各概日時計の振動カップリングの不思議、という問題もある。どういうことかというと各動物は、体内に複数の時計を持っている。それらがホルモンなどを介して同調し、一つの時、時間的な秩序を作っているらしい。それらはどのように同調しているのかについては、まだ未解明の部分もある。

    だが、やるべきことは見えているらしい、それが本書を読むと伝わってくる。一つ一つ部品を辿っていけばやがては見えてくるに違いない。そんな研究者達の思いが伝わってくるレビュー集、それが本書なのだ。興味がある人なら、一読の価値はある。

    生物時計の不思議な点は、(ある一定の範囲では)温度補償されていることである。
    何らかの化学反応によって発振が起こっていることは間違いないのだが、温度補償されているのだ。これは普通の化学反応系ではおおよそ考えられない現象である。このように、まだ不思議なポイントもある。今後の解明に大いに期待したい。

    最後に、本書冒頭の海老原史樹文氏の文章を引用させて頂く。

    現在の研究の速度を考えると、概日時計のコンポーネントが出揃うのは時間の問題のように思われる。しかし、これらのコンポーネントがどのように関わり合って24時間という時間を刻んでいるか、また、温度補償性がどのような機構により生ずるのか、さらに、細胞あるいは組織間での振動体カップリングの機構など、概日リズムのシステム全体を理解するまでにはまだまだ時間がかかるものと思われる。

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  • 死を処方する
    (ジャック・キボーキアン(Jack Kevorkian)著 松田和也訳 青土社、2200円 原題:Prescripton Medicide: The Goodness of Planned Death, 1991)
  • この本は科学書でもなんでもないのだが、多くの書店では科学書の棚に置かれていた。まあ当然といえば当然かもしれない。興味を持っている方も多いと思うので、ご紹介する。

    著者キボーキアンは自殺機械「マーシトロン」の作成者である。本書によると彼は、1998年までに120人以上の患者の自殺を幇助したという。もちろん、自殺幇助で有罪判決を受けたこともある。また重症患者に致死薬を注入する姿はCBSドキュメント60minutesでも放映された。日本でも深夜放送されたので見た人は多いだろう(ただし日本版は一部カットされていた)。

    このような著者が書いた本、しかもタイトルは「死を処方する」ときたら当然のことながら安楽死の権利を声高に主張する本だと思うだろう。もちろんその内容は含まれている。初めて自殺幇助機械を使ったときの様子が本書には克明に描かれている。
    ところが本書の内容はそれだけに止まらないのである。

    著者は、いまの死刑は質が低い、という。「現在のような状況では、死刑というのは単に死刑囚の生命の損失に過ぎない」と。それに対してキボーキアンは「有益な医殺」という概念を提唱し、迎死医学なる学問を掲げる。キボーキアンは言う、死刑囚の臓器は有効に活用されるべきだし、生体実験にも使えるではないかと。それによって、我々は「死刑の質」を高めることができるのだと。

    中にはこの考え方に吐き気を催す人もいるかもしれない。だが著者によれば、死刑囚の中には実際それ(臓器提供や生体実験)を望む者もいるという。ただむざむざと無駄に死ぬよりは、世の中の役に立ちたい、そう考える死刑囚もいるのだと。本書にはその旨を記した死刑囚自身の手紙や証言が登場する。そして、死刑囚の3分の1、あるいは半分が臓器提供に同意、またはそのような選択に対して肯定的な意見を持っているという。

    そして、「自分の生命で他人の生命を救うことを選択する権利と名誉を与えること」そのものが、死刑の質を高めるのだいう。実質上、死刑囚からの臓器摘出が行われるようになってもその数はかたがしれている。だが、そういう選択を与えることそのものに意味があるのだと、キボーキアンは主張している。

    こ本書は基本的に社会通念と伝統的な倫理への挑戦であり、著者は非常に激しい書き方をしており、このような死刑に対する彼の意見が本書の3分の2を占める。安楽死が必ずしも主体の本ではないのだ。だが、病に苦しむ人々に対して安楽死というオプションを呈示する医師、その考え方はどこからどのような背景を持っているのかが、通読するとなんとなく分かってくる本だ。


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  • においを操る遺伝子
    (山崎邦郎(やまざき・くにお)著 工業調査会、1800円)
  • ペンシルバニア大学にはモネル化学研究所というのがあるのだそうな。著者はそこの教授で、本書には他にも多くの日本の研究者名が登場する。

    以前、マウスはMHCの違うものと有意につがいを作る、という話を聞いた。そのときは本当かなあ、と思ったのだが、本書のメインの話はそれ。個人個人にはそれぞれ遺伝的体臭というのがあり、それはMHC(主要組織適合抗原複合体)遺伝子群がコードしているというのである。

    驚くべき話だが、つまり著者らの考えはこうだ。

    免疫応答を制御するに最も重要と見られる遺伝子群が、個体のにおいも制御しています。免疫と嗅覚は、ともに化学構造を識別すると生物学的な能力の最も強烈な例として知られていることから、同じ遺伝子群に支配された両者が共通の機構を分かち、進化的なつながりがあるのではないかと考えられます。MHC領域に嗅覚受容体遺伝子が存在するという最近の発見は特に興味があります。(本書P.183より)

    嗅覚系と免疫系には、いくつかの共通の要素があります。ともに化学感覚であり、多種多様な化合物に反応し、未知の化合物に対してユニークな応答を示します。これらの類似点から、この化学感覚系は共通の起源を有しているのではないかと考えられます。おそらく、原始単細胞生物では、この二つの系は別れておらず、多細胞生物に進化していくに従って分かれて、一つは免疫系となって体内での自己と非自己の識別を選択し、もう一つは嗅覚系となって体外での自己と非自己の識別を司っているのではないでしょうか。この考えをさらに進めて、免疫系をつかさどる主要組織適合抗原複合体の遺伝子群は、においを操る遺伝子群と呼べるかと思います。(P.113より)

    著者らはそれを実験で確認しようと試み、遺伝変異が少なくMHC領域のみが異なるマウスを造ったところ、マウスはMHCの違う相手とつがいを作りたがったという。匂いを本当に識別できるかどうかについては、Y字型の迷路を使った実験により、統計的に有意なデータを出した。この実験の詳細が本書の中核なので、そこについては読んでもらいたい。が、簡単に言ってしまえば要するに、マウスは自分と体臭が違うものとつがいを作りたがったというのである。

    しかも著者らによると、ハッタリットの人々(宗教弾圧から逃れてアメリカに渡った人々で、共同体の中で閉じられた生活を営み、結婚相手もこの共同体の中から見つける)を使ってデータを取った結果、ヒトでも有意な結果が出ているというのだ。自分と異なるHLAの人間を捜す傾向があると。

    むむー。確かにかなり面白い話なのだが、状況証拠的なところが気になる。もっと決定的な話は出てこないのだろうか。今後の研究に注目だな、これは。

    その他、におい識別についての新しい情報なども盛り込まれている。『におい 秘密の誘惑者』のときにも書いたが、こういう本は案外ないので、貴重だ。しかし、本当のところどうなんだろう。面白い話だけに気になるなあ。


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