「DOS/Vmagazine」掲載書評『「超」整理法3 とりあえず捨てる技術』

1999年9/1日号掲載

『「超」整理法3 とりあえず捨てる技術』

野口悠紀雄著 660円  ISBN:4-12-101482-0 中央公論新社(中公新書)

 最初に申し上げておくと僕は時間順「押し出し式」である「超」整理法を使っていない。ではどうしているかというと整理法には山根式(50音順に並べる)を使っている。日付順に並べていたこともあったのだが、人間の記憶はそれほどはっきりしておらず、時間順では検索が容易ではなかったというのがその理由だ。まあ仕事内容も人によって違うし、向き不向きもあるだろう。誰でも使える整理法なんてものはないのだから(あったらこんな本は出ない)、人によって向いている方法を使えばいいだろう。

 さて本書の中心は「捨てる」ことである。捨てるのを怖がって大量の書類に埋もれている人はあなたの身近にも大勢いるだろう。だが仕事をストックではなくフロー、すなわち入力→出力だと捉えると捨てることは必須である。なにせストックにはコストがかかるのだから。では「何」を「どう」捨てれば良いのか?

 野口はバッファとして保存ゴミの箱を作ることを提案する。デスクトップ上のゴミ箱と同じである。本当に消去する前に、一時的に放り込んでおくという作業が必要だと説く。つまり「取りあえず」捨てるのだ。こうして「捨てるために保存する」システムを構築しておけば、万が一その書類がもう一度必要になった場合でも簡単に取り戻せるというわけだ。

 そして電子情報に関してはハードディスクの大容量化と検索の高速化によって捨てなくてもよくなったという。この辺に関しては本誌読者の方が(おそらく著者よりも遙かに)詳しいだろうから詳述は避ける。だいたい、これが大まかな本書の筋である。

 現在あるものの整理だけを考えるのではなく仕事をフローだと捉えるという発想は賛成だが、結局本書を読んでも「何」を捨てれば良いのかという答えは見つからない。個別の問題であるので当然といえば当然ではある。使わなくなったもの、これからも使わないものを捨てれば良いわけだが、使う予定がないからといって使うことがないかというとそうでもない。5年前の書類が必要になることもある。

 だがモノを捨てずに取っておくことは、西岡文彦が『編集的発想』(JICC)で言っているように「知の便秘」に他ならない。ほんらい栄養吸収するはずの腸壁にこびりつく宿便のようなものである。宿便は出さなければならない。ゴミを捨てねばならない理由はスペースを取るからといった問題だけではないのである。

 では何を捨てればよいのか? しばしば「そのうち読もうと思っている書類」なるものが登場することがある。「そのうち」とはいつか? 私は「いま」のことだと捉えている。未来永劫、優先順位が5番目であるような書類はばっさり捨てるべきだ。そして、「そのうち」がすなわち「いま」以外のいつでもないことを自覚すべきである。でないとモノは整理できない。


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