「DOS/Vmagazineカスタム」<森山和道の科学的態度>第4回

2000年01月号掲載

『あなたの行動はプログラミング済み?』

男好きは遺伝子のせい?

 いよいよ今世紀最後の年がやってきた。昨年は新幹線でコンクリートが落下しまくったり、ウランをバケツで混ぜた奴がいたり、H-IIロケットが爆発したり、火星探査機が何機も行方不明になったりと、国内外で科学技術凋落か、と思わされる事件が続いた。今年は何が起こるのだろうか。

 一方、ついにヒトの染色体のうちの一つが解読終了したのも昨年である。この例を出すまでもなく現在は「遺伝子の時代」といっていい。  様々な病気に関わる遺伝子が発見されているが、最近話題を呼んでいるのが行動に関与する遺伝子だ。

 有名な話では早稲田の山元教授らによる研究で、キイロショウジョウバエの性行動の制御に関わっているfruitlessという遺伝子座にあるsatoriというものがある。この遺伝子が壊れるとオスのハエがホモセクシャルのような行動を起こす、つまりオスをオスが追っかけるようになってしまうというものである。これはどういうことだろうか。

 現在、satoriはハエの脳の一部・触覚葉糸球体というところのニューロンの性別を決める遺伝子であることが分かっている。satori変異体はそこが「性転換」してしまって「メス」になってしまっている。そのため触覚から「(匂いによって)オスの存在を感知した」というシグナルが送り込まれたとき、自分自身もオスなのに、オスに対して性行動開始シグナルを次の性行動実行中枢に送ってしまう。そのため、オスがオスを追いかけるという奇妙な行動が見られるのだと考えられている。

ハエで分かる行動の仕組み

 ショウジョウバエは遺伝学研究に非常によく使われる昆虫で、その他にも様々な変異体が知られている。

 なんだハエか、と思ったあなたは甘い。

 1996年、ドーパミンレセプター4型(D4DR)に関する遺伝子の多型性が好奇心の多寡に関わっているのではないかという発表がなされた。それ以来、神経伝達物質に関与する遺伝子を中心として、人間でも性格や気質にも深く関わる素因の探索が行われている。

 動物、ましてや人間の行動もある程度とはいえ遺伝子で決まっているというと、すぐに決定論だなんだと決めつけて叫ぶ人がいる。そういう人は逆に遺伝と環境のなんたるかが分かっていないと思って間違いない。環境とのインタラクションなんぞは言わずもがななのである。学習過程ですら環境刺激とそれによって引き起こされる遺伝子の読み出し、翻訳によって起こることが分かりつつある現在、環境と遺伝の関係は不可分であり、分けて論ずることなど最初からできはしない。

 とはいうものの、いさかか不安を感じる人がいるのも無理からぬことだ。それが自然な反応だろう。

 僕ら生物の体が遺伝子の読み出しによって作られているのは紛れもない事実であり、ここまでを否定する人はあまりいない。しかしながら脳、そして心だけは別だと考えている人は未だに大勢いる。

 確かに環境の影響は大きい。だが脳も臓器の一つである。なんでもかんでも環境で決まるよりは、設計図によってきちんと作られる部分のほうが多いと考えるほうが自然だ。でないとなんの機能も発揮できない。

イヌで探る行動遺伝子

 なるほどそこまでは分かった、でも性格や気質、情動といった部分にまで遺伝子が関わっているとは信じがたい、という人もいるかもしれない。実際ヒトの場合、環境や文化の影響が大きすぎて、なかなか研究対象としづらいことも確かだ。ハエや線虫みたいに突然変異体を作るわけにもいかない。かといってハエで「性格」を探るのは難しそうだ。

 だがよくしたもので、ちょうどいい動物がいる。犬だ。犬には多くの犬種があるが、もともとは一つの種類だったものを人間が品種改良を施したものである。だがテリアはやかましく大型犬はおとなしい。その性格は品種によって大きく異なっている。これはいったいどこから来ているのか? 

 その起源を人間と同じく遺伝子に求めようという研究が行われている。既にD4DRにやはり多型があり、しかも品種によって偏りがあることが分かりつつある。また昨年末に(社)農林水産技術情報協会主催で行われた公開シンポ<動物行動遺伝子>で行われた発表によると、東大の森裕司氏らは盲導犬を対象にした性格関連遺伝子探索プロジェクトを開始したそうである。盲導犬を養成するには高いコストがかかる。だが最初から適性のない犬をふるい落とすか、あるいはそれぞれの犬ごとに適した訓練プログラムを組むことができれば、大幅なコスト削減に繋がるかもしれない。

 このように、性格関連遺伝子の探索には実用的な意味もあるのである。単に興味本位のみではない。先に名前を挙げたシンポでは将来ビジョンとして、おとなしくストレスに強い家畜を作ったり、昆虫の食性を切り替えて害虫を益虫としたり、サケのように外洋に出る魚を淡水下で暮らすようにしたりといった可能性の話で締めくくられていた。つまり人間の目的に応じて動物の行動を変えられるかもしれないというのだ。

 強調しておくが、あくまで「将来ビジョン」である。実際に何も考えずこんなことをしたら生態系はむちゃくちゃになってしまう。ここに行動遺伝子研究の将来の可能性と危うさがある。

それがすべてじゃない

 しかし遺伝子と行動の関係を探るのは難しい。単に行動のスコアリングと遺伝子の多型性が統計的に一致したからといって、すぐに何かと何かが関わりがあると言えるわけではない。D4DRの場合はもともとドーパミンが情動に深く関わっていることから深い関係があるに違いないという話が出てきたのだが、必ずしも関係がはっきりしないものもある。

 たとえばIQ160以上のヒトは第6染色体にあるインスリン様成長因子2受容体の多型のうち、ある特定のタイプを持っている割合が、2倍も高いというデータがある。

 これを持ってそれが高いIQの遺伝子だとするのは早計だ。その逆で、僕らは「だからなんだ」と聞かなくてはならない。遺伝子の特定の配列が異なっていることが、何がどうなってIQに結びつくのかということが言えない限り、なんとも言えないと考えるのが正しい態度である。つまり遺伝子と行動との相関関係を調べるには単に統計上有意だということではなくて、きちんと因果関係を調べることが重要なのだ。

 遺伝子はしばしば設計図と呼ばれるが、実際には設計図というより組立装置の一部として捉えるほうが実状にあっている。読みとられた遺伝子の情報はタンパク質に翻訳されてそれぞれの細胞で発現する。それによって細胞の性質が決まり、神経回路網の働き方が決まる。そして表現型として行動になって現れる。だが行動には当然のことながら様々な因子が絡む。一つの遺伝子だけで一つの行動が決まるわけではない。

 そして重要なことがある。たとえば昆虫のように特定シグナルを受けたら特定の行動をとるものでさえ、全く同じように行動するわけではないということだ。これはいったいなぜだろうか?

 もちろん、自然界に全く同じ環境は存在しないからだというのもあるだろう。当然それに影響される個体の内部情報も変わってくるはずだ。だがもともと「個性」がある。その実体はいったいなんなんだろう?

 我々はなぜ違っているのか? 何が違いの原因なのか? おそらく遺伝子上では、たかがしれないほど小さい違いでしかない。だがそこにこそ、我々それぞれの違いに関わる本質があるのかもしれない。

参考文献:
環境昆虫学』東京大学出版会
公開シンポジウム<動物行動遺伝子−探索から農林水産技術へ−>講演要旨
社団法人農林水産技術情報協会
http://www.afftis.or.jp/index.html
『分かる脳と神経』羊土社





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