『技術と経済』1999年3月号掲載書評

地震予知を考える
岩波書店刊
98年12月21日
254ページ 定価660円
著者 茂木清夫
評者 森山和道

 著者は地震予知連絡会の会長である。1980年には伊豆沖で震源の高周波音を捉え、世間一般からも注目を浴びた。その著者が「地震予知を考える」というのだから、読まずにはいられない。
 結論から言えば、本書の主張は「地震予知は可能だ」というものである。その主な根拠となっているのは、本震前の「前震」の出現と、「地震空白域」の出現の二つである。
 著者は兵庫県南部地震、伊豆大島近海地震、日本海中部地震で例を挙げてみせる。これら二つが前兆として多くの地震の前に捉えられているのだから、地震予知は観測態勢を充実させればできるはずだ、というのが著者の主張の核心である。
 では、なぜこれまでは予知できなかったのか? 観測態勢が不備であったから、というのがその解答。確かに学者側の言い分としてはこうなるだろう。この返答に満足できる一般人が多いとは思えないが、「国防」という視点で地震対策絡みの予算を見ると、その金額は雀の涙であるのもまた確か。
 だが私は、必ずしも研究者の肩を持つわけではない。たとえば、研究者達がいう「短期予知」とは普通、短くても数ヶ月〜一年以内のことを指す。これは、一般人からは大きく外れた感覚だ。予知といったら一週間以内、といった感覚が普通だろう。そして、市民からはそう考えられているからこそ地震研究に予算が投入されているのである。こうなると地震予知研究は義務とも思われるが、必ずしも研究のベクトルは予知に向けられているわけではない。理学は実学ではないし、地震予知というお題目を掲げて予算を取っているわけではないのなら、何を研究しても構わないだろう。だが…。
 果たして地震予知できるかできないかについては、研究者らも3つに分かれているようだ。「可能である」という立場、「不可能である」という立場、それと「分からない」という不可知の立場の3つである。
 要するに、まだまだ地震予知は簡単ではなく、難しいのだ。研究の為には理論も必要だし、著者らが重視する観測も必要だろう。
 間違いなく確実なことは、「地震は起こる」ということだけだ。予知が出来ようができまいが、地震はくる。予知の道はまだまだ遠そうだ。防災は個人的な問題として捉えていくしかないのかもしれない。

もりやま・かずみち
サイエンスライター


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