『日経サイエンス』掲載・森山和道の読書日記・98年12月号

〜生命倫理、医学と医療〜

 今回は生命倫理の本を取り上げる。倫理的であることと科学的であるということは、イコールではない。また「医学」と「医療」も異なるものだ。医学は科学と置き換えられるが、医療には医学以外のもの、これまでの医学が置いてきてしまったものが含まれている。倫理問題の登場により両者──科学と医療、基礎と応用が急激に接近し、せめぎ合っているようにも思える。置き去りにされていた問題を問うてきているのかもしれない。

 『生命倫理学講義』は徳島大学医学部で4回生向けに行われた講義をまとめたもの。10人の講義が収録されている。もとは医療・医学従事者向けに行われた講義だが、医療過誤、生殖技術、臨床試験、在宅医療など一般読者にとっても興味深い内容だ。もちろん臓器移植、遺伝子改変などについても講義されている。医学・医療という限られた分野からの視点であり、また考え方が違うものもあると思うが、倫理観とは皆が作っていくものだ。部外者はいない。お互いがいろいろな考え方を知ることが重要だ。大学の講義をこういう形で公開してくれたのも嬉しい。

 倫理とは道の理。あるべき、従うべき規範の理屈、それが倫理である。倫理は大勢によって漠然と形成される道徳観念だから、時代と共に変化する。定型はない。ある行為が倫理的か否かは、後からついてくる、あるいは考えるものだ。問題は、どう考えるかだ。生殖技術、終末医療、臓器移植、胎児診断、遺伝子治療などは倫理的か否か。

 倫理問題では「どこまでやっても構わないのか」という設問はよく見る。だが「どこまでやるべきなのか」という質問はあまり設定されない。だが、技術は本来、それを必要とするから生み出されてくるものだ。必要とする患者がいるから、新しい技術は開発されてきたのである。

 新しい知見を利用すれば、苦悩し、死に直面した患者を救うことができる。その場合、やらないことのほうが倫理に反することになる。人には技術の恩恵を受ける権利があるはずだ。患者を救えるかもしれない技術の発達や利用を政府が無理矢理規制して押さえ込んだりすべきではない。

 遺伝子治療はその一例だ。『いのちの遺伝子』は激烈な闘いの物語である。日本初の遺伝子治療を行った小児科医たちと、患者の家族をめぐるヒューマン・ドキュメントである。患者の家族の衝撃、医師たちの思い、日本初の酵素補充療法、莫大な医療費の負担、行政の壁など遺伝子治療を行うに至った経緯が綴られる。どちらかというと淡々とした筆致だが、子供の命を救おうとする医師たちの思いが感動を呼ぶ。

 薬害のような新たな技術による問題、経済行為としての医療がもたらす弊害とは対照的な物語だ。必読の一冊である。

 また別の例もある。生殖技術がそれだ。『生殖革命』は現役の不妊症治療の専門医による一冊。前半で妊娠のサイエンスや現在の生殖技術を、後半で新たな生殖技術が起こす社会的な波紋を考察し、一般の認知の低さを嘆く。最後は生殖技術の未来や、今後日本人がどのような倫理的基盤をもつべきか、論を展開する。

 IVF(体外受精)が始まって20年。だが未だに世間の認知度は低く、誤解も多い。生殖技術は施さなければ死ぬといったものではないが、産みたいけど産めない人々の権利を重視すべきだ。10%の夫婦が不妊症に悩んでいるが、現在、IVFの妊娠率は20-40%だという。実際に顕微鏡下で確認できる受精過程しか、ほとんど解明されていないからだ。それ以外の過程については、まだまだ不明な点が多い。だが卵の細胞質の移植が試みられ、性腺刺激ホルモンが合成される昨今、将来は明るいのではないかと著者は言う。

 一億総評論家時代というが、倫理問題はそれで良いと思う。技術を施される人間のことだけ忘れずに…。

もりやま・かずみち
サイエンスライター


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