『朱鷺の遺言』はノンフィクションだが、いわゆる科学書ではない。朱鷺とその保護に人生をかけた人々の物語である。環境問題、多様性保全ということになると、ある程度マクロな視点で語られることが多い。科学書の場合、多様であることそのものが生態系にとっては意義がある、などなどと書かれているのが普通だ。本書にはその種の記述はない。そこにあるのは、ただただ朱鷺を愛し、朱鷺が暮らす風景の再現を夢見た人々の物語である。
ページを繰っていると、自然保護に必要なものは、結局「愛」という言葉に還元できるのではなかろうか、と思えてくる。トキは100羽をきった段階でもう滅んでいたのだ、そう冷めた視点で語ってしまうことは簡単だ。だがその陰には、朱鷺の為に奔走する市井の人達がいた。社会と科学の関わりを考えるためにも必読の1冊。
個体の保護と生態の保全は別物である。朱鷺のケースの問題は、そこを混同したことにあった。何体か捕まえてきて檻の中で飼うことが保全ではない。まず生態を知り生態系全体を理解する必要がある。それが保全生態学だと私は理解している。『サクラソウの目』はその入門書。普通の人の、なぜ生態保全なのかという問いに対する説得力は弱いが、基礎の学習には良い。
『海に潜る』はダイバーかつ海洋ジャーナリストによるエッセイ。世界の水環境と生物たちの現状を綴る。カリフォルニアではウニ漁が行われている。それはやがて、日本の食卓へやってくるのである。その海にはラッコがいた。毛皮のために乱獲され、ラッコは減った。そのために餌のウニが増え、それを人間が取り始めたのである。現在ラッコは2400頭まで回復した。現地ではラッコと人間が、日本人が食べるウニを取り合っている。本書は自然と海について考えさせる好著。なお今年は、国際海洋年である。
実は僕は自然保護という言葉が嫌いだ。自然の中で生きている人間が、自然を保護するという言葉の中に傲慢を感じるからである。生きていく上で周囲からの搾取を全く行わないなんてことはできるはずもない。周囲へのインパクトを如何に減らすかということも大事だが、そもそも「生きる」ということは周囲からの収奪が基本なのだと自覚することがまず重要だろう。問題は、その上でどう生きるかということである。
『砂漠化防止への挑戦』は「現地の空気を指のさきまで吸い込んで研究してきた」研究者の手になる乾燥地緑化の現状レポート。砂漠化防止とは完全な砂漠を緑化することではない。砂漠化しつつある土地に緑を取り戻させようとする試みである。
著者は現実主義者である。砂漠化を引き起こした住民の生活を重視しつつ、生態系の生産力回復を試みる。つまり「手つかずの自然」を残そうとしているのではない。「自然」を人が暮らす場として捉えているのである。当たり前の視点だ。我々が生きている「ここ」も自然なのだから。
著者の態度は厳しい。その矛先は安易な環境保護論、日本のカネの落とし方にまで及ぶ。「環境に配慮した思考」とはどういうものなのだろう。
いまの自然は人間活動も気候変動も何もかも内包した総体の結果としてここにある。環境問題により、人類は生きることによる周囲への影響を考えざるをえなくなった。我々は、自らの存在そのものに対して自覚的であることを、要求されるようになったのである。
もりやま・かずみち
サイエンスライター