『日経サイエンス』掲載・森山和道の読書日記・99年1月号

〜サイエンス・エッセイ〜

 一般科学書を読む愉しみの一つは知らないことを知ることだ。雑学的な本はスノッブからは馬鹿にされがち。たしかに単に知識をころがすだけの本もある。だが面白い話題を詰め込みながら、なおかつ科学の楽しさを伝えようとすると、なみなみならぬ筆力が必要とされる。

 たくみな筆と信じられないほどの博識の著者による『99匹の跳ぶ、這う、かじる仲間』は、もともとTV番組のための放送台本。駄洒落というか言葉遊びの枕とオチをつけた、短いエッセイを99集めたもの。文章はウィットに富んでおり、気分転換や気晴らしには最適だ。

 紹介されているエピソードも楽しく興味深い。ケラチンを代謝できるカツオブシムシ、ニコチン中毒にならないスズメガ、グリセロールを蓄積して氷漬けに耐えるアワノメイガ、変装するカゲロウの幼虫、クチクラの水分量を変えて色を変えるカメノコノハムシ、ペクチナーゼを分泌し木をだまして未熟な果実を落果させるゾウムシ、人間の手ほどの温度で死んでしまうコオロギモドキ、気温によって鳴き声の回数の変わるカンタン、高温、高塩分に適応したミギワバエ、そしてヒトの体に住み着く虫たち…。

 実に多種彩々なムシたちの生態が、生き生きと描かれる。無脊椎動物の研究者には研究対象を「愛して」いる人が妙に多いような気がするが、本書もそんな研究者の手になる一冊である。

 対象を愛するという点は、こちらも共通しているかもしれない。ニューヨークタイムズ紙の科学コラムの中から鳥に関するエッセイを抜き出して編集された『ハチクイは、旦那が実家に入り浸り』は、軽いタイトルとカバー絵、軽妙な文体の陰に、鋭い視点を隠した一冊。一つ一つのエピソードが面白いのはもちろんだが、単に面白いだけに留まらない問題が隠されている。

 シラサギでは、先に生まれた二羽が三羽目のヒナをいじめ、突き落として殺してしまうことがあるのだという。この二羽の黄身にはテストステロンをはじめ雄性ホルモン物質が、三個目の卵の倍も含まれている。つまり、生まれたときから不平等なのだ。結果として無事成鳥になるのは二羽だけであり、三羽目は保険に過ぎないのだという。

 ところが、カナリアではこれが逆なのだ。最初に生まれた卵ほどテストステロンの量は少なく、後に生まれる卵ほど多かった。後から生まれる子供はそのぶん餌をもらう期間が短い。その不公平をなくすためだというのだ。この二つの観察結果は、安易な一般化がいかに難しいかを示している。

 もう一つ面白い話を。コガラの海馬では毎年古い脳細胞が死に、新しい細胞がとってかわることはよく知られている。囀る小鳥はこうして新しい歌を覚え、餌探しの技術となわばりの地図記憶を更新していくらしい。

 この話は、一つの疑問を抱かせる。すなわち「記憶の単位はどこにあるのか?」という問題である。普通、「記憶の単位」はシナプスにあると考えられている。ではなぜ、小鳥たちはシナプスを繋ぎ変えるだけではなく、わざわざ神経細胞をまるごと取り替えるのか? さっぱり分からない。これなどは、生物学一般において広く考えられるべきだと思うが如何だろうか。とにかく本書、そして自然には「分からない」ことがいっぱいなのだ。一つ一つに監修者による短い解説が付けられているのも嬉しい。

 『磯焼けを海中林へ』は最近メディアでよく取り扱われる話題ながら実態が伝えられていない「磯焼け」について正しい理解を得られる本。磯焼けとは不毛な海底のことではなく「産業的な現象を示す用語として理解すべき」言葉であるという。海況変動や化学生態学的な見方を持ち込み「岩礁生態系の変動の一過程」として捉える本書の姿勢は、安易に問題を一般化するのではなく、現象をよく見ることがまず第一なんだ、という姿勢が感じられて良い。一貫した視点と筆力が、気軽に読めるが奥が深い読み物を生むのだ。

もりやま・かずみち
サイエンスライター


Return to Index