日経サイエンス'97.5月号 原稿

私のような無名の人間に、書評を書く機会を与えてくれた<日経サイエンス編集部>に感謝。
大学入学時は、何らかの先入観を持って自分の学問範囲を捉えていることと思う。往々にして、自分の中に作った枠組みの中に学問範囲を押し込んでしまいがちである。これには「ある特定の見方でしか物事を考えられなくなる」といった弊害もある。そこで、ここでは自分が捉えている「学問」なり「ものの見方」なりを拡張してくれるような本を選んでみた。
「手話の世界へ」はメディカルエッセイストとして人気のサックスの最新作。「耳が聞こえない」ということから、脳の可塑性、言語論、認知論まで展開してみせる。各論を通して総論まで見せてしまう筆力、ベテランの物書きの手法を学ぶ上でも必読の一冊。「生殖革命と人権」は、生殖技術を論ずる上で欠かせない視点──「生殖技術は誰のためにあるのか」という視点を思い起こさせてくれる本である。科学と倫理の議論は多いが、肝心の視点が欠落したものばかりの現状に一石を投じた。「動く植物」は植物生理の教科書であるが、植物を動物と共通の視点で捉えぬき一冊の分量を書いてしまうことで、大変刺激的な本となっている。改めて生物進化の不思議を考えてしまう。刊行中の「地球惑星科学シリーズ」は進展著しい地球惑星科学の教科書。複雑に相互作用するサブシステムが構成する<システムとしての地球>を様々な分野から統一的に捉えようとする第一歩の本である。全14巻であるが、前半三冊は入門編となっており、誰でも読める。進展著しいとは言ってもまだまだやらねばならないことが山積、新しいジャンルから新しい視点の流入が必要な分野であることもまた実感。「宇宙学者が『読む』」は書評の本。この本を起点として面白い本を繰ることもまた楽しい。書評を読んだだけで読んでしまったつもりにならぬよう、よくよく注意。
自分のなかに作った枠組み──これは、両刃の剣である。自分自身を、殻の中に閉じこめてしまいかねない。しかし、極めてしまえばどんな範囲の物事でもそのアプローチを通して「切る」ことができる、という利点もある。ただし「極める」ことは難しいのが自然界の探求。ジャンルを問わず領域を横断し、自然を総括して捉えられる視点を養って欲しい。そのためには教科書ももちろんだが、自分の観念を打ち壊すような本をとにかく読むことである。

なお、以下が私が選んだ候補の本である。この中から最終的に上記5冊を選んだ。
必ずしも、昨年の科学書ベストというわけではないが、上記のような視点で見れば、それに近いものではある。

●性の起源 遺伝子と共生ゲームの30億年
(リン・マーグリス、ドリオン・セーガン著 長野敬+原しげ子+長野久美子訳 青土社、2600円 原題:ORIGINS OF SEX -Three Billion Years ofGenetic Recombination-)

●まんがサイエンスV
(あさりよしとお著 学習研究社、800円)

●手を洗うのが止められない 強迫性障害
(ジュディス・L・ラパポート著 中村苑子 木島由里子訳 晶文社、2900円 原題:THE BOY WHO COULDN'T STOP WASHING, 1989)

●手話の世界へ
(オリバー・サックス著 佐野正信訳 晶文社、2100円 原題:SEEING VOICES - A Journey into the WORLD of the Deaf, 1989)

●原子を飼いならす 見えてきた極小の世界
(ハンス・フォン・バイヤー著 高橋健次訳 草思社、2800円 原題:TAMING THE ATOM The Emergence of the Visible Microworld,1992)

●生物の複雑さを読む 階層性の生物学
(団まりな著 平凡社自然叢書、2400円)

●薬の飲み合わせ なぜ起こる、どう防ぐ?
(伊賀立二監修 澤田康文著 講談社ブルーバックス、680円)

●生殖革命と人権 産むことに自由はあるのか
(金城清子著 中公新書、680円)

●動く植物 植物生理学入門
(ポール・サイモンズ著 柴岡孝雄・西崎友一郎訳 八坂書房、3914円 原題:The Action Plant - Movement and nervous behavior in plants-, 1992)

●物理の超発想 天才達の頭をのぞく
(ローレンス・M・クラウス著 青木薫訳 講談社、2000円 原題:FEAR OF PHYSICS, 1993)

●岩波講座 地球惑星科学シリーズ

●人はなぜ老いるのか ─老化の生物学─
(レオナード・ヘイフリック著 今西二郎・穂北久美子訳 三田出版会、2800円 原題:How and Why We age, 1994)

●病原体はどう生きているか
(益田昭吾(ますだ・しょうご)著 ちくま新書、680円)

●宇宙学者が「読む」 書評文明論への試み
(池内了(いけうち・さとる)著 田畑書店、3100円)

●人間と医学
(ウルフ アンドゥル・ペデルセン ローゼンベルク著 梶田昭訳 博晶社、4944円 原題:Phirosophy and Medicine An Intorduction, 1990)


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