97年5月Science Book Review


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  • ホーキングとペンローズが語る 時空の本質 ブラックホールから量子宇宙論へ
    (スティーブン・ホーキング ロジャー・ペンローズ著 林一訳 早川書房、1600円 原題:THE NATURE OF SPACE AND TIME, 1996)
  • 1994年にケンブリッジでこの二人が行った集中講義録。はっきり言って、すげー難しい。内容を完全に理解することは、物理学科の学生や数式に日常的に接している人じゃないと無理だろう。光円錐や世界線といった言葉を聞いた事のない人がいきなりこの本を手に取るとひっくり返ってしまうかもしれないので気をつけるように(笑)。でも、面白いよ。

    内容についての吟味は止めておこう(手に余るので(^_^;)。林一氏による<あとがき>を読んで欲しい。言うとすれば、ホーキングが書いた部分よりも、ペンローズ担当の部分の方が分かりやすいような気がする、ってことくらいかなー。

    この手の本を読む「コツ」は、洋書を読むコツに似ている。多少分からない部分があっても、一気にガリガリ読む。これが一番だ。ワケが分からない言葉もいっぱい出てくるだろうが、その辺には目をつぶりつつ、とにかく読むのである。だいたいのところで、彼ら二人が何をいわんとしているのか、問題としている点は何か、二人の立場の違いは何か、ということは分かってくると思う。

    素人科学愛好者としては、その程度を味わうだけでも良いのでは無かろうか。そのうち、内容が分かるようになるかもしれないし(多分、数式を自分で解けるようにならないと無理だろうが)。

    難しい難しい、と脅してしまったが、本書には大量の数式の図解が掲載されている。本文の数式が分からなくても、幾何学的に表現された図を見ていけば、本書の内容を追っていくことは、十分可能だと思う。
    というわけで、トライしてみてはいかが?


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  • 化学のすすめ
    (濱口宏夫 黒田玲子 永田敬編 筑摩書房、1600円)
  • 21世紀学問のすすめシリーズ6巻。
    読んでいるとわくわくしてくると同時に、なんだか空恐ろしくなってくる本だった。

    本書の内容構成、著者は以下の通り。

    1. 分子の生い立ち(山本智、電波天文学・宇宙化学)
    2. 地球を作る原子・分子(野津憲治、個体地球化学・火山学)
    3. 光と分子(濱口宏夫、超高速レーザー分光学・光物理化学)
    4. 分子を組み替える(永田敬、クラスター化学・反応動力学)
    5. 分子をつなぐ(尾中篤、触媒化学・有機合成化学)
    6. 分子に機能を持たせる(菅原正、有機物性化学・物質設計学)
    7. 分子と生命(黒田玲子、X線結晶学、生体分子構造論)
    分子レベルでものを見る、ものを作る、生命を考える、我々とは何かを考える。現在の化学の前線、達しているレベルをコンパクトに見ることができる。

    宇宙史の中で、我々とは一体どういう物質なのか。生命誕生とはどのような過程であったのだろうか。光に応答する分子システム。それを電子一つが飛ぶか飛ばないかの時間単位で計測する。分子素子。ナノテクノロジーの領域へ迫りつつある分子設計・製造技術。見え始めた、外界の信号に応答する「分子システム」誕生への道。そして生命。生命とはなにか。化学はどこまで迫ることができるのか。

    この書評を書いていると寺田寅彦の随筆を思い出した。ちょっと長いがここに引用する。なぜ私がそらおそろしく感じたのか、分かると思う。「春6題」(岩波書店)から。

    「物質と生命の間に橋のかかるのはまだいつのことか分からない。生物学者や遺伝学者は生命を切り砕いて細胞の中へ追い込んだ。そしてさらにその中に踏み込んで染色体の内部に親と子の生命の連鎖をつかもうとして骨を折っている。物理学者や化学者は物質を磨り砕いて原子の内部に運転する電子の系統を探っている。そうして同一物質の原子の中にある或る「個性」の胚子を認めんとしているものもある。化学的の分析と合成は次第に精緻をきわめて驚くべき複雑な分子や膠質粒が試験管の中で自由にされている。最も複雑な分子と細胞内の微粒との距離ははなはだ近そうに見える。しかしその距離は全く吾人現在の知識で想像し得られないものである。山の両側から掘っていくトンネルがだんだん互いに近づいて最後のつるはしの一撃でぽこりと相通ずるような日がいつ来るか全く見当がつかない。あるいはそういう日は来ないかもしれない。しかし科学者の多くはそれを目当てに不休の努力を続けている。もしそれが成功して生命の物理的説明がついたらどうであろう。
    科学というものを知らずに毛嫌いする人はそういう日をのろうかもしれない。しかし生命の不思議がほんとうに味わわれるのはその日からであろう。生命の物理的説明とは生命を抹殺することではなくて、逆に「物質の中に瀰漫する生命」を発見することでなければならない。」

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  • 万物の死 自然の死から<死>を考える
    (小原秀雄(おばら・ひでお)編 講談社ブルーバックス、720円)
  • 死に関するエッセイを集めたもの。収められた内容は以下の通り。

    1. 動物の死 小原秀雄
    2. 植物の死 平野和彌
    3. 細胞の死 掘誠
    4. 人間の死 松田重三
    5. 宇宙の死 小尾信彌

    いま一つ統一感がなく、読みごたえにかけるのが残念だが。
    「自然は、すべて連続性と斉一性を持ちながら、一回だけの歴史的過程を踏みます」(はじめに)
    だから、生があり、死がある。それが「自然」である、というのがおそらく編者の意図なのだろう。「一回だけの歴史的過程」。

    一回だけ。「進化」も、一回だけの歴史的過程である。そこが気になった。が、どのような論考を続ければ良いか分からないので、これで終わり。ごめんなさい、最近、頭働いてません。


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  • サッカーボール型分子C60 フラーレンから五色の炭素まで
    (山崎昶(やまざき・あきら)著 講談社ブルーバックス、660円)
  • フラーレンの本。
    取り立ててどうこういうところのない、何の特徴もない化学の本。

    カーボンナノチューブを使った極小電池や、分子ベアリングとしてのフラーレンの利用についての話が、ちょとだけ面白いか。もっともっと、このフラーレンなる物質が、どう画期的で、どんな物性を持ち、将来は何に使えそうなのか、面白く書けそうな気がするのだが。

    どうして化学の本って、こういうのが多いのだろう?


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  • 海の働きと海洋汚染
    (原島省(はらしま・あきら)・くぬぎ正行(くぬぎ・まさゆき)共著 裳華房ポピュラーサイエンス、660円)
  • くぬぎ氏の漢字が出ない。ごめんなさい。
    この5月9日夕刊で、海洋からの二酸化炭素変動の様子をビジュアル化した、という記事が報じられたのはご存じだと思う。いわば地球の呼吸とも言うべきものを視覚化したわけで、なかなか面白い絵だった。

    本書は、ほぼタイトルどおりの本である。まず海洋汚染の状況を概観し、地球環境全体に及ぼす海洋の影響(この章は「ガイア」的な海のホメオスタシスについて触れられる)、海中の生物粒子の挙動とその生態システム、海の活動の計測・モニター、そしてそれを受けてのモデル化、そしてまとめ、となっている。
    丁寧な参考文献、参考サイトリスト付き。

    現在の海洋研究の実際を覗くことができる内容。各種グラフが多用されているのが嬉しい。資料としても有り難いし、分かりやすい。

    「海」、これの内外の環境を考える上での入門書としてはなかなかの本だと思う。手放しではないが、おすすめはできる。買って損した気にはならないだろう。
    ちょっと残念なのは地味すぎることか。ただ、それが研究者の人たちの実際の印象なのだから、その点はよしあしだ、と思う。


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  • ぼくの東京昆虫記 高層ビルの空の下で
    (海野和男(うんの・かずお)著 丸善、1440円)
  • 先月紹介した「身近な自然の作り方」と共通する部分も多い本。タイトルそのままで、東京という大都会の中での昆虫観察エッセイ、回想録である。

    私自身は田舎の出身だったので、蝶を追い、芋虫をつかまえ、バッタを追い回し、赤トンボの群の中で昆虫網を振り回しながら育った。いつも、やかましいくらい昆虫の鳴き声がしていた。それが当然だと思っていたのだが、いまや当然ではない。東京ではなおさらだ。

    だが、そんな都会にも自然はある。
    「小さな昆虫の目で眺めれば結構な自然がある。わずか1メートル四方の草地も体長8ミリほどのテントウムシにとってみれば、200メートル四方、高さ10メートルほどの小さな林ほどの空間になる。そのくらいの自然なら東京にも無数にあり、人間が貧弱と思っている自然の切れ切れに、多くの昆虫が健闘している」(「はじめに」より)

    身近な場所をもっと知ること。それが必要なのだろう。昆虫をはじめとして、生き物というのは実に逞しい。どこにでも入り込み、生息場所を見つける。それが、おそらく生き物の本性なのだ。

    しかし、都会が厳しい場所であることもたしかである。著者は、東京の自然──都内に点々と散らばる公園などを、線路沿いの土手などで繋ぐことを提唱している。「緑のネットワーク」、それだけで、生き物にとっては大分違うのだ。

    去年は、あまりセミが鳴かなかった。冷夏のせいもあったのだろうが、今年は、どうだろうか?


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  • 科学研究の大航海時代 科学者よ大志を抱け!!
    (東洋紡百周年記念バイオテクノロジー研究財団 監修 古川俊之 責任編集 学会センター関西/学会出版センター、1429円)
  • シンポジウムの記念文集。いわゆる偉い人たちの考える科学の問題点が指摘されているが、だいたい、みんなが考えていることと同じなので、それほど見るべき点はない。でも、こういう文集をちゃんと出すことは、凄く大切なんだよね。だからオッケー。

    ここで、ついでに科学に対する現在の印象をちょっと書いておこう、せっかくだから。
    今月、「クォーク」という科学雑誌が潰れた。この雑誌を毎月買っていた僕としては残念至極だったのだが、ついこの間、今度はオカルト系の雑誌がまた新しく創刊された。
    これが、現在の科学に対する一般の態度の、一つの結果である。

    いまだに、科学は誰に対してでもアピールしうる、と脳天気に思っている「科学者」は、まだ多い。現実を、世の中を知らない、というのは凄いことだ。
    私は「科学者は思い上がっている」と思っている。どういう意味か、というと、自分たちがやっていることをそのまま出せば(あるいは出さなくても)世の中の人はみんな面白がってくれる、と考えている、という点だ。

    これは、間違っている。おそらく学校の先生のほとんどは、そのことを実感しているだろう。自分の考えていること・やっていることに、あまり世の中の人は興味を持っていない、と思うべきなのだ。どんなものごとでも、世の中の人っていうのは、それなりの「演出」なり「プレゼン」なりをしないと、誰も振り返ってくれないのだ。これは、企業で企画をやってる人なら誰でも承知していることだろう。「面白い」というのなら「何がどう面白いのか」、明示しないといけないのだ。

    ところが「科学者」はそんなことには留意しないものらしい。こういうことを言うと、怒り出す人がいるのが、その証拠だ。
    これが、今の科学界の問題の一つだ、と僕は考えている。


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  • 脳と記憶の謎 遺伝子は何を明かしたか
    (山元大輔(やまもと・だいすけ)著 講談社現代新書、660円)
  • この本は買い。値段も安いし、内容の網羅度といい、入門性といい、具体的事例の充実度といい、読後感といい、申し分ない。
    記憶とは何か、その物質的基盤は何か、そして進化的な基盤は何か、現在の記憶研究の視座はどこにあるのか、これらを一望できる。

    記憶には顕在的な記憶、つまり呼び出せる記憶と、呼び出せない記憶「潜在記憶」とがある。こういった記憶の分類から本書は始まる。「記憶とはなんぞや」と問うことからまず始まるわけだが、これが結局は根本問題なのだ。記憶とは一体なんなのだろうか。これは私のような素人は考えれば考えるほどよく分からなくなるのだが、取りあえず研究を行うには「これこれこういうものである」と仮定し、その前提で始めるしかない。

    記憶の座はどこにあるのか。これを求めて研究は続いている。脳、シナプス、ニューロン、そして、その内部のタンパクなどの働き。そして指令を出すDNA。これらに、徐々に迫りつつある。記憶の根元的基盤は、結局細胞内にあるとしか考えられない。そしてその中で活動しているのはタンパク質であり、それらは遺伝子の発現によって作られる。記憶がどのように「モノ」化されているのかを描き出そうとするのが本書である。

    短期記憶にも長期記憶にも前頭前野が深く関わっていることは様々な実験によって分かっている。前頭前野は後部頭頂葉や下部側頭葉らと相互に情報をやりとりして短期記憶を維持しているらしい。また長期記憶については情動の中枢と言われる扁桃核や「陳述記憶の集配基地」海馬などが重要な役割を果たすことも分かっている。ここまでが本書前半である。

    ではニューロンはどのように情報を「記憶」しているのだろうか?
    同じこと何度もやると、すなわち同じ神経回路網が何度も発火するとやがてニューロン間の情報の伝わりやすさが変化する。よりシナプスの伝達効率が向上することを長期増強(LTP)と呼び、伝わりにくくなることを長期抑圧(LTD)と呼ぶ。これらは記憶の素過程の一つとして考えられており、何がLTPやLTDを起こすのかというメカニズムが現在盛んに研究されている。メカニズムには諸説あるが、おおざっぱに意見が一致しているのはシナプス後細胞へのCa2+の流入、その後それがシナプス前細胞へ何らかのシグナルを送っているのだろうという点だ。

    シナプスには興奮性の神経伝達物質であるグルタミン酸依存性のイオンチャネルの一つ・NMDAレセプターというものがある。つまりグルタミン酸に結合し、神経細胞を興奮させる働きを持つ。これがCa2+を流入させるイオンチャンネルとして働くのではないかと考えられている。またNMDAレセプターを刺激するとNOが放出されることが分かっている。そのNOがシナプス前細胞に働きかけ、LTPが起こるのではないかというのが一般的な考え方だが、研究者みながこれに同意しているわけではない。

    さらに話は遺伝子の世界に入る。LTPが起きたときにだけ転写がさかんになる遺伝子群がある。つまり、LTPのときにニューロンがいったい何をしているのか突き止めようという研究が行われているのだ。その結果、短期記憶、長期記憶の違いがそれぞれ分子の世界で捉えられつつある。長期記憶が形成されるためには様々な遺伝子の読み出し、その後の古いシナプスの破壊や新しい樹状突起の伸展が行われる必要がある。だが短期記憶の場合は遺伝子読み出しの必要がなく、既に存在しているイオンチャンネルのリン酸化だけで良いらしい。

    いやはや、実にいろいろなことが分かっているものだ。我々が一つ一つ、こうして物事を記憶している瞬間にも、ニューロンの中では絶え間なく遺伝子の読み出し、蛋白合成、破壊が行われているのである。これから、この分野はどんどん面白くなるだろう。また実際問題として、ボケに挑むという切実な課題もある。

    しかし「三菱化学生命研究所」というところには、なんでこうも面白そうな人が多いのだろう。この本を読んでいると、著者に会いたくなってくる。実にユニークな、そういう本だ。


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  • 道楽科学者列伝 近代西欧科学の原風景
    (小山慶太(こやま・けいた)著 中公新書、660円)
  • 道楽、として科学をやっていた人たちが、いろんな成果を上げた時代があった。というより、プロフェッショナルとしての科学者が成立し得たのは最近になってからだから、そうするより他なかったのだけれども。だから、「科学」なんていう道楽をやれる人は、お金持ちに限られた。いわゆる好事家、ディレッタント達である。今でもこの人たちに憧れる人は多いと思う。

    シャトレ公爵夫人、ビュフォン、ラヴォアジェ、バンクス、ローウェル、ウォルター・ロスチャイルドが、本書で扱われている人物である。著者は、これらの人物に羨望と郷愁の念を込めて著している。科学にとっても、科学をする人々にとっても、古き良き時代であったと。

    だが、一般ピープルの私としては、ふふん、という程度にしか思えなかった。確かに羨ましくはあるのだが、所詮は金持ちの道楽。科学がそんな下らないものであった時代を懐かしむ気には、到底ならないなー。憧れはあるけどね、好きなことだけやって、その学問が発展する、っていうことに。

    また、科学者が当時の好事家の心を忘れている、と著者は言うのだが、僕に言わせれば、今でもやっぱり好きなことを好きなようにやっている人の方がずっと多いんじゃないかな。昔の好事家は自分の財産で研究していたわけだが、今のだいたいの研究者は税金で研究しているわけだから、税金納入者としては、もっと自分の研究をもっと広報して欲しいと思うのだよ。好事家のように、自分の中だけにしまっておいてもらっては困るのだ。それは科学者の心の余裕とか、そういうこととはまた違う話だけどね。

    ここらで閑話休題。
    というわけで、本書は、タイトルどおり──道楽として科学をやっていた人の列伝であり、それが近代科学の原風景であった──という内容の本であり、科学史的な興味を持って読む分には結構面白く、なんといっても気楽に読める本なので、その辺の人にはおすすめしておく。


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  • 脳とクオリア なぜ脳に心が生まれるのか
    茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)著 日経サイエンス、3200円)
  • 「クオリア」とは、あるものを見たり感じたりしたときの「質感」「感覚」「理解」みたいなもの、のこと。なんて言えばいいのか、いわく言葉にはし難いけれど、例えば水滴を見たときには、心に感じる、水滴らしさみたいなものがあると思うけれども、その感覚のこと。それが、こころ、なるものには非常に重要なものであることはすぐお分かり頂けると思う。例えば、赤、という色を見たとき、我々は波長なになに、といったことを考えて「赤」なるものを認識するわけではないし、ニューロンの発火を実感しつつ「赤」を感じるわけでもない。その質感をぱっと認識する。その質感がクオリアである。

    著者は、そのクオリアがどうして生じるかを解き明かすことが心の解明には必須だと力説する。これは至極当然の発想である。それは誰にでも分かる。そういう意味で、この本のねらいは分かりやすい。

    だが、一冊の本としてどうか、なるとまた別だ。値段もそれなりだし。
    まず、全体の感想を素直にいうと、いかにも元物理の人が書いた本だ、って感じがした。例えば著者は、発火していないニューロンは意識のことを考えるなら存在していないも同じ、と言うのだが、そもそもこれは現在の生物学の知見から見てどうなんだろう、という気が、素朴にした。古典的な、電気生理学的なニューロン回路の話ならそれで良いのかもしれないが…。これほど単純化してしまって良いのだろうか?

    また、ペンローズ-ハメロフの話も随所に出てくるのだが、その話の解説、という面から見ても、別にもっと分かりやすい本があったような気がするし(本書はそれが目的ではないから当然だが)。それと同列の話なのだが、自由意志の話も、もっとうまい解説があると思う。本書の解説は何だか分かりにくい。少なくとも、初めて自由意志問題の話に出くわす人には、なんだか分からないだろう。

    「脳」と「心」の関係は、「生物」と「生命」の関係に似ている。どちらも物質に依拠して生じるが、何がどうなっているのか、根本的なところはさっぱり解明されていない。この二つの難題、それが解き明かされるには、まだ、時間が必要である、ということは良く分かる。

     →著者自身による本書内容要約へ


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  • カオス系の暗礁めぐる哲学の魚
    (黒崎政男(くろさき・まさお)著 NTT出版、2100円)
  • 哲学とテクノロジーの関連の興味を持ち続ける、「哲学者クロサキ」の最新作。NTT出版から出ている「インターコミュニケーション」誌の連載をまとめたもの。ドレイファス派として知られる著者だが、本書でもその態度は一貫して変わらない。
    今回の書で異彩を放っているのはカオスの研究である。これがコンパクトにまとまっていて、かつなかなか面白く、カオスなるものの入門としても悪くないと思う。哲学者から見た「決定論的カオス」が、どんなものであるか、覗いてみるのは、科学の立場の人から見ても結構面白い、と思うよ。

    本書の大きな主題は、コンピュータに代表される科学・技術と人間の距離感。
    他者としてのコンピュータから、内部化していきつつあるコンピュータ。縮んでいくコンピュータと人間の距離。というより、機械と人間の距離。それがコンピュータによってますます明確化してきた、といった方が良いだろう。本書の内容はまずここから。さらにマルチメディア時代の「著者性」、記号論、霊魂論、そしてカオスへと向かう。

    ここでは私のもっとも興味を引いた論考、「チューリングテストと霊魂論」を紹介しよう。霊魂の問題は、これまで最も多くの思索家達や一般人の興味を引いていながら、現在、科学の問題とはされていない。科学だけではなく、ことごとく「まともな」学問とはされていない。というか、それを語ることさえタブー視されているものである。不思議だ。かつては霊魂論は学問として成立していた。これがどのようにして学問の知・地から失われていったのか、これはなかなか興味ある題材である、と私は思う。また、今日再びこの「問い」を「問い」として復活させようという試みが各方面から為されようとしている今日、これは考えておくべき題材の一つであると思う。

    その他、活字文化とは何であるのか、我々は記号なしに思考できるのか、ヴァーチャル・リアリティー、などのテーマに関心を持つ人にお勧め。現代固有の問題と、伝統的哲学の接点が、あちこちにあることが良く分かるだろう。これを読んで科学の方に興味を持つもよし、哲学の方に興味を持つもよし。

    本書の特徴、というか、著者の考察の特徴は、その今日性にある。上に上げた問題も、全て今日的視点で語られている。というより、今日であるからこそ、新しく考え直さなければならない問題群である。ここが、彼の本が他の哲学の本と違うところである。雑誌連載中はなんだか読みにくい印象があったのだが、本にまとまると別にそんなことはなくて、かなりコンパクトに現代の科学や技術のあり方が、どのように哲学(あるいは我々の世界観)に影響を与えているか、雑観できる本となっている。


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  • ナノテクの楽園 万物創造機械の誕生
    (エド・レジス著 大貫昌子訳 工作舎、2800円 原題:NANO: The Emerging Science of Nanotechnology, 1995)
  • ナノテクノロジーのビジョンを引っ張る、エリック・ドレクスラーに焦点を絞った本。相変わらずのエド・レジス/大貫昌子節で、痛快軽快。こういうワクワクする本は、私、大好きです。

    ドレクスラーの評価は、国内の研究者の間でも別れているのではなかろうか。彼が「創造する機械」で書いたことを読んで「何を言ってるんだ、この狂人は」と思った人も少なくはないらしい。だが、彼に会ったことのある人(のうち、僕が会った人)は、「彼ほどの勉強家はいない」という。彼はもの凄く頭の良い男で、幅広いジャンル、膨大な量の原著論文を読みこんでいるという。そこいらの研究者よりよっぽど勉強している、という話だった。

    とにかく、ドレクスラーは決してマッドサイエンティストなどではない、ということだが、それは本書の一本の柱でもある。エド・レジスはやっぱり抜群にうまい。そのうまさは文の運びや言葉遣いといった面だけではない。ドレクスラーのビジョンが決してポンと出てきたものではなく、当時の科学の発展の中から生まれでてきたものであるように読者に思わせるために、巧みに科学史上の様々な発見を折り込みつつ、本書を綴っている。読者は誰しも「これはあり得ることなのではなかろうか」と(少なくとも読書中は)思ってしまうだろう。

    さて、というわけで、ワクワクしたい人には文句なしでお勧めするのだが、マジな日本のナノテク研究の現状レポートも読みたいぞ。誰か書いてくれないかな。


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  • 現代思想6月号 特集:多様性の生物学
    (青土社、1300円(税込み))
  • 多様性の生物学、である。まずはクローンを巡る対談。柴谷篤弘+森岡正博。意外と、というと失礼だが、面白かった。うん、ホントに。森岡氏は今までテレビ番組などでも意見を仰っていたが、こっちの方がなんだか分かりやすい。

    次。金子邦彦+郡司ペギオ-幸夫+高木由臣、この3人の対談。これは、一番面白かったのは高木由臣氏の、ゾウリムシのアポトーシスの話。まだ全然分かっていないそうだが、ゾウリムシがアポトーシスしているのではないか、という。これは面白い。高木氏の著書も面白かったけど、やっぱり面白い。目が離せない分野だ。

    あと、アフォーダンスの話など。「アフォーダンス:心理学のための新しい生態学」。これを読んで、ようやくなんとなく分かったのだが、アフォーダンスの思想というのは、これまで、生物周囲の「資源:リソース」を、元素の循環といった面だけから捉えすぎていた、という、生態学の反省的な側面の現れの一つなのではなかろうか。あてずっぽうだけど。

    「均衡から流れへ 動的ポイエーシスの基底」と題する論考も結構面白かった。これは単純に、ほほう、という発見があった。やっぱりそういう面白さにかなうものはない。

    もう一つは倉谷滋氏が書いた形態の話、これが拾いものだった。面白い。

    というわけで、今月号は結構買い。

     →他の書評へ


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  • ヒトはなぜヒトを食べたか 生態人類学から見た文化の起源
    (マーヴィン・ハリス著 鈴木洋一訳 早川書房、680円 原題:Cannibals and Kings - The Origins of Cultures, 1977)
  • 文化人類学の本なので、普通の意味で科学書ではないし、文庫化された本なので新刊でもないのだが、まあ良いでしょう。

    主にこのショッキングなタイトルのおかげで、この単行本が出たとき、結構書評などで騒がれていたような気がする。実際には食人の記事は大したことないのだが。
    今回通読し、この感想を書こうと思って感じたのだが、この本のタイトル「ヒト」という言葉は「人」あるいは「人間」の方が良いのではなかろうか。この本で扱われているヒトは「ヒト」としてではなく「人」存在として描かれているのだから。

    著者は「文化決定論者」である。つまり「個人の思考と行動はつねに文化的および生態学的な拘束と機会によって導かれる」という立場だ。この立場にたって本書は、石器時代から近代までの人の生活を、連続的に描いてみせる。そして著者は、私たちの今ある文化も歴史性を持った存在であることを示している。これが、この本のねらいなのだろう。本書のタイトルの食人も、その文化変容の歴史性の中の、一つのイベントに過ぎないのだ。

    ところで。太平洋戦争の時の日本兵の食人などは、この著者の立場から見るとどのようなものに見えるのだろうか。


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