「NEWTYPE」掲載<森山和道のサイエントランス>第11回

2004年2月号掲載

『未来の色を見る脳』

 前回は人間の自由意志についての実験を紹介した。今回は、心理的時間についての話をしよう。

 人間が「瞬間」だと感じているものは実際には「瞬間」ではない、ということをはっきり示した実験がある。錯覚など、知覚の錯誤の研究で知られる知覚心理学者の下條信輔らのグループが行ったものだ。

 TMSという頭蓋の外から磁気によって脳の神経活動に影響を与えられる装置がある。磁場を発生させると電磁誘導で電流が生じさる。十分な強さであれば、外から脳の中に電流を生じさせることもできる。すると、神経活動は基本的に電気伝導なので、脳は磁場の影響を受けるのだ。

 下條らは被験者にチェック模様を見せながらTMSで後頭部の視覚野を刺激した。すると視野に穴が開いた。視覚野の活動が妨げられ、部分的にものが見えなくなったと考えられる。  さて問題は、その穴は何で埋められたのか、ということだ。被験者は灰色を見たという。もともと「何も見えなかった場合」の色を灰色として知覚するように設定されているという可能性もある。だが、縞模様を見せる前後にも灰色を提示していたので、それが見えたという可能性も高い。

 そこで彼らは別の実験を行った。縞模様を見せる前に赤、縞模様のあとに緑色を提示したのだ。すると何が見えたか。

 常識的に考えれば、穴の色は、灰色か、あるいはTMS刺激の前に見ていた赤になると予想される。ところが被験者には緑色が見えたのである。脳は、刺激によって開いた穴に「未来の色」を持ってきて塞いだのである。

 初めてこの話を下條による講演で聞いたとき、そんな馬鹿な、うそだろう、と思った。過去の情報ではなく未来の情報を持ってくるなど、直感的には信じられない話である。

 だが、この結果が色自体の特性、たとえば赤よりも緑色のほうが強い、といったことによるわけではないことは刺激順序を逆にした実験でも確認されている。やはり「縞模様のあと」に提示した色が見えたのだ。確かに脳は、未来に提示された情報を持ってきて知覚させているのである。

 なぜこんなことが生じるのだろうか。基本的には、ニューロンの活動に一定の時間が必要だということが理由だ。脳がものを見て、それをまとめて「縞模様を見ている」という知覚を成立させるためには、それなりの時間が必要なのである。実際には100ミリ秒くらいとされている。

 一連の処理を経たあと、人間は「あるものを見ている」という主観的知覚を感じる。つまり瞬間は瞬間ではない。普段はそのズレが知覚されないだけなのだ。そしてこの実験は、一連の処理における時間順序がズレてしまった結果、ある知覚が、意識にのぼる順序が変わってしまったのだと考えられている。

 この実験結果は、ある長さを持つ物理的な絶対時間が、脳の中では「一瞬」として潰れて知覚されていることを示している。心理的時間と物理的な時間はイコールではないのだ。直感には反するが、人間の脳はそういうものなのであるらしい。なお、この実験については意識やクオリアの研究で知られる茂木健一郎による『心を生みだす脳のシステム』(NHK出版)で詳しく紹介されているので、もっと知りたい人には一読をすすめたい。

 筆者自身もTMS実験を体験したことがある。残念ながら視覚野を刺激するものではなく、指が不随意にピョコンと動くというものだった。今のところ、後遺症はないようだ。


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