「NEWTYPE」掲載<森山和道のサイエントランス>第12回(最終回)

2004年3月号掲載

『寿命と文明、そして視点』

 化石人類、つまり我々の祖先の化石が見つかると、大騒ぎになる。多くの人が自分たちの祖先には興味を持っているらしい。

 化石そのものが滅多に見つからないことも、ニュースとなる理由の一つだろう。なぜあまり化石が見つからないのか。化石となって残りやすいところで住んでいなかったとか、理由はいくつかあるだろうが、一番の理由は極めて単純で、個体数が圧倒的に少なかったからだと考えられる。初期人類は、あまり数が多くなかったと考えられるのだ。

 だが現在、人類は60億人以上いる。大繁栄だ。人間が現在のように文明を繁栄させるに至った理由はなんだろうか。

 二足歩行? 手が自由になったこと? 道具の利用? 脳の相対的肥大化による知能の向上? 言語の誕生? 火の活用? 農耕の発明?

 いろいろな理由が挙げられる。それぞれ、人類の発展に大きく関わったことは疑いない。

 だが私が、もっとも現在の文明繁栄に寄与したと考えるヒトの変化は、寿命の延長である。

 人間は、他の霊長類に比べても遙かに寿命が長い。もともと初期人類はせいぜい20年、長くても30年以下の寿命しか持っていなかったようだ。だが、現在のヒトの最大寿命はおよそ80才あまり、あるいは120才くらいだと考えられている。

 最近、寿命に関する遺伝子がいくつか見つかっているが、それらの遺伝子にどこかで変異が起きたのかもしれない。あるいは成長速度をコントロールする遺伝子群に起きた変異が、ヒトを長寿命に変えたのかもしれない。いずれにしても、どこかでヒトの祖先に何かが起きたのだろう。栄養条件や衛生条件の向上がさらに寿命を延長した。だが、昔はもっと短かったのである。

 考えてみて欲しい。最長老が30才の世界を。子供が成長する時間。子育て時間。親が子供にものを教える時間。全てが短い世界だ。

 年齢はそのまま経験に繋がる。寿命が長くなれば、それぞれの個体が経験を積む時間が長くなるだけではない。ヒトのような社会的な動物の場合、年長者が若い個体に自分の経験を伝え、群れを導くこともできる。経験と知識をベースに、新たな革新を生むこともできる。新たな発明を定着化させるためにも長い寿命は有利に働く。

 ヒトが他の種に対して大きなアドバンテージを獲得するに至る過程で、長い寿命は間違いなく大きな役割を果たしたに違いない。教育の重要性は改めて強調するまでもないだろうが、教育という過程そのものが生まれるためには、長い寿命が必要なのである。

 人が学べる時間は有限だ。他人に物事を教える時間も有限だ。何かを成し遂げるための時間も有限である。では今後、もし人間の寿命が現在の倍、160才くらいまで伸びたらどうなるだろう。人々はより長い間物事を学び、考え、行動することができるようになる。同時に、100年後に起こると予測されることでも、我が事として捉えることができるようになるだろう。が一世紀を超える視点を真に獲得したときになって初めて、人間は現在よりも遙かに長い視点で物事を見、未来を見通して行動できるようになるのかもしれない。


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