「NEWTYPE」掲載<森山和道のサイエントランス>第6回

2003年09月号掲載

『計算機としての脳』

 操り人形を見たことがあるだろうか。一流の人形使いの手にかかれば、命のない人形が生きているような動きを見せる。ただの人形なのに、動きはじめたとたん、まるで違って見える。だが、素人が操っても、やはり人形は人形だ。動きはぎこちない。その差はどこにあるのか。

 また、運動が苦手な人がいる。いわゆる運動音痴だ。では「運動が苦手」とはどういうことだろうか。飛び箱が飛べない、鉄棒が回れない、ドリブルができない、うまく泳げない、エトセトラ、エトセトラ。では、運動ができない人たちは、どうしてできないのだろうか?

 力、すなわち筋力が足らないからではないということは、みんな何となく分かっているだろう。では、華麗に舞うオリンピックの体操選手たちと、跳び箱も跳べない人とは、いったい何が違うのだろうか。

 筋肉の使い方である。言い替えると、筋肉のコントロール、制御の巧みさに違いがあるのだ。筋肉には心臓の心筋や内臓を動かす内臓筋などがあるが、体を動かす筋肉は骨格筋と呼ばれる。骨にくっついているからだ。どんな人でも筋肉と腱で骨を動かして動いている。

 人間の関節は、いわば常に力んだ状態で動いているロボットと違って、瞬間的に大きなトルクを発生させたあとは、フリーな状態でダラーンと動くようになっている。また、腕一つ動かすにしても人間は全身の筋肉を巧みに使う。だから人間はロボットと違って、しなやかに動く。運動が巧みな人は、必要最小限のパワーで最大限の効率を出すように筋肉を動かすことができる。

 では、その制御の巧みさは、どうやって生まれるのだろうか。自分の意志で動く運動を「随意運動」という。これは大脳皮質で計画される。目や耳などで得た感覚情報はまず、脳の横やてっぺんあたりに位置する連合野で統合される。次に運動情報を計画するために脳の前方の前頭葉連合野に運ばれる。ここで運動が計画される。その後、一次運動野で関節の動きを決めたあと、脊髄を経由して全身の筋肉に信号が送り出される。もちろん、同時平行して記憶と統合される情報ルートもある。

 このとき小脳では、精密な制御計算が行われていると考えられている。大脳皮質運動野が感覚情報を使ってフィードバックを行いながら、いわば意識して筋肉を動かしているのに対し、小脳では目標物に対してどのように腕を動かすか、予測して動作を決定しているらしい。事前に予測した軌道が正しければ正しいほど、素早く安定した動きができる。運動におけるトレーニングは、どうもこの小脳の機能を上げることであるらしい。

 目標運動から運動に必要な力を計算することを「逆運動学」という。トレーニングとはロボット制御の考え方からすると、逆運動学モデル獲得プロセスであると捉えることができる。現在のロボットは、腕を伸ばしてコップを取る、ただこれだけの動作でも人間に劣る。現在の高速な計算機でもいっぱいいっぱいなことを、人間は全く意識せずにやってのけている。だが頭のなかではコンピュータがやっているような計算が実行されているのである。

 人によって筋肉の付き方や腕の長さが違うので、小脳のなかにある自分の運動モデルは、人によって違う。トレーニングの過程で、脳内モデルは絶えず修正されていく。体を鍛えるだけではなく、イメージトレーニングが効果があるとされる理由は、おそらくここにある。トレーニングは、脳も鍛えているのだ。


前回へ
[広告] ナショナルジオグラフィック日本版
次回へ



「NEWTYPE」掲載原稿インデックスへ | HOMEPAGEへ |